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CCC / UTMB 2015 その7

前回からのつづき

CCCのゴールの翌日、UTMBウィークの最終日を迎え多くのUTMBランナーがシャモニーに到着する。早いランナーは前日のうちにゴールしているが、多くの一般ランナーがゴールするのはこの最終日だ。

UTMBフィニッシャーを見て感じた、人生の縮図

朝、ホテルに到着するとUTMBに参加された方もけっこういるではないか。
聞いてみると昨日のうちにDNFになってしまったとのこと。どの方も77km地点のクールマイユールまでで関門にひっかかっていた。168km走るつもりでいて半分で終わってしまう、仕方ないといえばそれまでかもしれないが彼らに悔しさが残らないことはないだろう。

街に出るとひっきりなしにランナーが戻ってくる。
一度沿道に並ぶと応援がやめられない。
大柄の人、小柄の人、やせてる人、太っている人、若い人、年配の人、様々な人たちがゲートをくぐっていく。一気に駆け抜けていく人、国旗を掲げている人、家族と抱き合い共にゴールする人……彼ら一人ひとりがまぶしい。気がつくと飽きもせず、ず〜っとフィニッシュに向かう自分がいる。ランナーの応援なんてサッカーのような応援とは違って退屈ではと思われる方もいるかもしれないが、これがまったく飽きないのだ。

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UTMBのフィニッシャーのほとんどの人たちは私のような30代よりも年上。40代半ばから50代くらいがボリュームゾーンに感じられた。ウルトラトレイルは僕が思っていたよりもずっと「おっさん」のスポーツのようだ。人生が続く限り、100マイルを走るチャンスはどこかでやってくるのかもしれない。
走力だけでなんとかなるものではないだろう。走力、山岳経験、気力などすべてのバランスのうえにUTMBの完走は成り立つのだ。生き様の縮図なのかもしれない。こんなことを考えたのは初めてだった。それだけUTMBのフィニッシュを見る、というなんでもない行為が私にとって大きいものだったのだ。
閉会式、すぐそばのテントから立ち上がって前かがみになってよろよろになったおじいちゃんがステージに上がった。彼が最高齢のフィニッシャー、なんと73歳。なんと素晴らしい。最下位ではなく、ゴールしてから表彰式までテントで待っていたようだった。壇上にあがると、会場の盛り上がりはピークに達した。ブラボーだ。こんなブラボーなことがあるだろうか。私が半分でくたばったあのコースの倍を、あのおじいさんがゴールしている。感動がやまない。

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ステージ中央にいるのが73歳のフィニッシャー

これまでトレイルランの花形といえる100マイルレースにいち早く参加したいと思っていたが、UTMBのフィニッシュを見ていて「そこまで焦らなくてもいいか」という気持ちも芽生えてきた。これは生涯スポーツだよ。

結局最終日はツアー参加者でUTMBを走っている人たちの経過をlivetrailで確認し、ゴール手前で声援を送り続けた。ゴールした人たちはボロボロだけど清々しく、夜の打ち上げには当然のように参加するタフっぷりを見せつけていた。すごいパワーだ。100マイラーは違うと違う意味でも実感したのだった。

あえてCCCという選択も

今年のUTMBではCCCを走った。ただ本記事を読んでいる人はCCCではなく「いつかはUTMBを走ってみたい」と思っている方もいらっしゃるだろう。そこで本稿では最後にUTMBへの道を冷静にまとめておこうと思う。UTMBを走るうえで必要な要件は以下の5つだ。

  1. エントリーに必要なポイント(ポイントが取れるだけの実力)
  2. 家族の理解
  3. 休暇の取得(職場の理解)
  4. お金

この5つの要素が複雑に絡み合い、すべてがビシっと揃ったときにはじめてUTMBへの道は拓かれる。
ポイントについて。2015年は14年から1pt増えて3レースで8ptとなったが、16年からはさらに1ptプラスになる。2年間で3レース走って9ポイントが必要になる。100km程度のレースを3本、最低でも走らなくてはならない。
家族の理解について、独身の方は障壁が低いかもしれないが、家庭を持っている方には大きな問題になるだろう。自分の趣味で海外旅行へ行く。そこで④で取り上げるお金をまとめて使う。そこでいっそのこと「夏の家族旅行にしてしまう」というのも手だろう(お金は倍以上かかるが)。レース中は家族にサポートしてもらうのは大きな力になる。自分の趣味への理解があるかどうかで差がでてくる。
③次のステージは職場だ。8月末〜9月頭にかけてまとまった休暇を取得できるか。弾丸日程を組むこともできるだろうが、できれば7日は欲しい。「夏休み」として確保できれば一番だがすべての職場でそううまくいくわけではない。その時期に重要な社業が控えている人だっているだろう。8月になって突然重要な案件が舞い込むことだってあるだろう。
お金の問題もある。かかるお金は国内の比ではない。国内のレースでも宿泊にエントリー費用、装備品などを揃えるとお金がかかる。ただこうした国内レースを控えることも難しい。なぜなら①のポイントに直結するからだ。
⑤上であげた①〜④の要素をすべてクリアしたとしてもUTMBを走ることはできない。抽選で当選しなくてはならない。UTMBの倍率は他のレースに比べると高く、高倍率ゆえに①の必要ポイントが年々上乗せされているのだ。こればかりは自分ではどうしようもない。抽選に落ちた場合、翌年には当選する確率が上がるが果たして翌年に①〜④の条件をクリアーしていることができるだろうか。1年条件が揃ったからといって安心はできない。2年はエントリーすることを見越してポイントは確保しなくてはならない。

ここまで書いて自分で気が滅入ってしまった。こうして冷静に書き出してみるとUTMBへのハードルは高いな。ポイントに限って考えても、ハードルは年々上がっている。果たして今からUTMBを目指して9ポイントをためたとき、必要なポイントは9ptのままとは限らない。

ここまで書くと走るのは定年後だなと思う人もいるかもしれない。大丈夫だ。定年後や定年近くなってもUTMBを走っている人は珍しくはない。上にあるように73歳だってゴールできる。

最後の関門「抽選」をクリアーしたとする。きっとその頃、あなたは「参加」だけで満足しないはずだ。①〜⑤の厳しい条件をクリアした以上、モンブランの周りをぐるっと1周してシャモニーに帰ってきたいと思うはずだ。行くからには「完走したい」というのが自然だろう。中には家族や職場の応援に応えたい!と意気込む人だったいるだろう。15年のUTMBの完走率は64%。天候次第ではさらに完走率は低くなる。ポイントを取得できる力があっても6割程度しか完走できない。厳しいレースなのだ。天気でコースが変更になる年だってある。モンブランを1周するはずが、悪天候でレースが中止になったり、鏑木さん曰く「里山レース」に変更になって100km程度で終わってしまう年だってある。これもまたどうしようもない、致し方ないことだ。どうせ行くなら「正規ルートで完走」と思う人が多いようだが、これもまた一筋縄ではいかない現実がある。あぁ、本当に複雑なパズルみたいだ。
UTMBに参加していた日本人はUTMF完走者が多かったが、UTMFを完走できたからといってUTMBを完走できるものでもないらしい。私はどちらも走ったことがないのでその違いはわからないが、参加した人は「UTMFとは違う」という。これは興味深い内容だった。

ここまで書いてみて「自分がUTMBを走れるのがいつになるかわからない……」という不安や焦りのある方はいっそのことCCCやTDSを走ってみるのも手ではないか。CCCもTDSも2レースで3ptあればエントリーできる。しかもTDSは最初のエントリーでは定員割れしていて、UTMB落選者が追加エントリーできるほどだ。UTMBとは雲泥の差である。CCCは抽選だが、たとえ落選しても必要なポイントも少ないから落選したとしてもUTMBほどの落胆はないはずだ。CCC以外で3pt取れる大会にエントリーしようと切り替えられるのではないだろうか。

TDSは独立した難易度の高いコースを進むが、CCCはUTMBの後半と同一コースを走る。UTMB気分をわりと手軽に味わうことは十分できるのが魅力だ。15年に完走率は69%。私のように実力もなくノリと勢いで来た人でなければ、しっかり走って完走できる距離と累積標高差だと思う。

また、これは憶測だが、CCCを完走しておけばいつかUTMBを走るときが来たときその経験がきっと生きるにちがいない。後半は「試走済み」状態なのだから。問題はクールマイユールまでの関門をクリアできるかなのだが……。

あれこれ述べてみたが、要するにUTMBは年々狭き門になりつつある。ただ、CCCならハードルは低いから良いんじゃないかということ。しかもCCCであればゴールしたあとにUTMBトップ選手のゴールを見ることができるし、UTMBのゴールをビールを飲みながら応援することもできる。これも一つの楽しみ方だ。

私はUTMBはもう少し人間として大きくならないと無理だなと痛感した。だからシャモニーに再び行くことができるのがいつになるのか検討もつかない。正直CCCでもすごく楽しかったし、自分のレベルではきつかった。お腹いっぱいになってしまったところもある。
その一方で、あのUTMB期間中にシャモニーで感じた「お祭り騒ぎ」が恋しくなってもいる。あの街全体を包み込む一種の麻薬のような(やったことないからわからないけど)多幸感をもう一度味わいたいって思いは心の底に確かにある。CCCのメリットは上で述べた「手軽さ」にあるけど、一番のデメリットはUTMBを知ってしまい「また来たい!」「次はUTMBだ!」って思っちゃうところだ。アタマで漠然と「UTMB出てみたい〜」よりも具体的なイメージが体験に基づいて形作られてしまう。これは相当やっかいだ。

CCCは手軽でいいよってことを書いてまとめようと思ったけど、自信がなくなってしまった。ひょっとしたら一気にUTMBに挑んだほうが正解かもしれない。いずれにせよ、UTMBでもCCCでもTDSでもいい。興味があったり、目標として位置付けている人は現地へ足を運んだほうがいいと思います。それだけは確か。来年のエントリーは12月から。まずはウェブサイトを見て、自分の手持ちのポイントを確認してみよう。それがささやかだけど、大きな一歩になると思います。

CCC / UTMB 2015 その6

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は5回目。
前回はこちらから

レース後半に待ち受ける3つのピーク

シャンペ湖を抜けるといよいよコースのクライマックス、3連続ピークに差し掛かる。ラスボス3兄弟といったところか。CCCは56km走ってから「キタタン」に入るイメージだけど、UTMBの場合は120km走ってからのキタタンだ。かなり恐ろしい。

こういうときはあまり先のことは考えない。次の関門までのことだけを考えて進む。関門をクリアできたらその先について思いを巡らせればいいのだ。

シャンペ湖を出発したときにはほとんど貯金がなくなってしまった。次の関門トリアン(Trient,72km)までは17kmエイドまでの区間はコース最長。すぐに登りに取りかかれば少しは楽なのに、ご丁寧に一度川沿いに下りきってから山登りがはじまる。上を見上げると木々の隙間からヘッドライトの光が溢れでている。
「あんな先まで登るのか……」この日何度心の中でつぶやいたことだろう。

レースも後半に差し掛かると、完全に前後のグループは固定されており、補給の差などで若干前後するが前にいた人、集団と一緒に進む展開になる。初めの頃は英語にも気を配っていたが、段々どうでもよくなってきて日本語で「すんませ〜ん」とか言いながら進むことも増えてきた。

森を抜け、森林がなくなりピークが近づいてきた。草むらにしゃがみ込んでジェルを飲んでいると視界に星空が飛び込んでくる。その美しさに息を飲む。関門時間まで急がねばならない私には「あれがデネブ、アルタイル、ベガ……」などと夏の大三角を探す余裕はない。少し時間だったがレースのことを忘れてしまう素敵な時間だった。

遠くからはカウベルの「カラ〜ン、コロ〜ん」という脱力感を含んだ音が聞こえてくるが、残念ながらチェックポイントではなくただの牛がいるだけだ。眠っているのだろうか、コース脇で座り込んでいる牛もいれば、立っているのもいる。

長い登りのきつい区間だったが、ナイトハイクを満喫したこともあって、思っていたよりもずいぶんと気楽にトリアンに到着した。トレイルを下りながら見た、トリアンの街は、中心に教会があってそれを囲むように住居が並ぶ。山を下るとそんな街にたどり着く、ドラクエみたいな世界だ。

「これがラストトライになりそうだ」という覚悟で臨んだトリアンへの道。結果としては関門50分前に到着した。ラスボスはあと2つ。この調子ならいけるかもしれないという確かな手ごたえをつかんだ。

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大音量で音楽が流れる、賑やかなエイドだ。

異変

復活の手ごたえを大切にしたい、行けるときこそ攻めるべきだ。できるだけ短時間でエイドから出よう。一度に1つしか食べないジェルを2つ流し込み、オレンジを食べて席から立ち上がった。

出口に向かって歩き始めたところで、補給したジェルとオレンジが逆流した
慌てて立ち止まり、吐き出すまいと口に両手を当てる。なんとか飲みこみ吐き出すことは防いだものの、再び訪れた予期せぬ事態に動揺は隠せない。気分が急に悪くなり、再び椅子に座り込む。ジェル2個食いが悪かったか……。落ち着け落ち着け、絶対に回復するからと自らに言い聞かせる。

短時間での出発作戦はあえなく失敗し、トリアンには30分も滞在してしまった。フラフラ登っていたのだろう、「大丈夫か」と選手に声をかけられながら次のエイド、ヴァロシーヌ(Vallorcine,83km)を目指す。

この区間は11km。トリアンまでの17kmに比べたら気持ちは楽で、GPSの標高表示を眺めながらゆっくり登っていった。少しすると胃の具合もだいぶ落ち着いたようでいつもの調子を取り戻していた。

山の頂上になると木々が無くなり、限りなく満月に近い月のあかりが遠くの稜線までも浮かび上がらせる。頂上付近のフラット気味な箇所も走ることはなく、淡々と歩いて下りに差し掛かった。

外国人は登りはめちゃくちゃ早い。その一方、下り、特に夜間の下りは不慣れな人が多いのか度々渋滞とは言わないが狭いトレイルが詰まってしまう。トリアンまでの下りでもたついていた人たちをパスしたのだが、体調不良で遅れてしまい、私の前に再び彼らがトレイルを詰まらせている。「すみませ〜ん」とつぶやきながらパスする。

83kmのヴァロシーヌには関門時間の45分前に到着。悪くない。ラスボス3兄弟もいよいよ次がラスト。ラスボスのなかのラスボスに挑む。最後のピーク、ベンツ峠(La Tete aux Vents,標高2130m)まで900m程度の登る。それを越えればあとはシャモニーまで下っていくだけだ。吐き気に気を配りながらゆっくりジェルを飲み込み、オレンジを10切れ口に含む。関門時間30分前、ゴールに向かって歩き始めた。

ラスボスに打ちのめされる

線路沿いの緩やかな登りを進んでいくと「まさかあれを登るんじゃないだろうな?」というゴツゴツした岩場だらけの壁が見えてくる。
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考えたくもなかったが、やはりこれを登るらしい。朝になった途端、見るのは壁。相当堪える。あれこれ見えるのも困ったものだな。

ラスボスを迎えるにあたって、不安材料があった。GPS付きの時計のバッテリーが切れたのだ。スントのAmbit2の標高表示を目安に「100m登った!」「あと半分!」と自分を励ましながらやりくりしていたが、それができなくなった。自分がどのあたりにいるのかわからい不安のせいか、足はどんどん重くなる。数歩進んでは立ち止まる。その度に後続の人に道を譲る。日本人の方もけっこういた。しばらくすると、後ろの人はまばらに見えるだけになってしまった。

このラスボスの恐ろしいところは「登りきった!」と思っても、チェックポイントが一向に現れない。ベンツ峠にはチェックポイントがあるはずなのだが、それがない。おかしいな。どうなっているのだろう。ひょっとするとチェックポイントは何かの都合でなくなったのかもしれない。これまでもそういうところがあったのだ。ということは、次にあるのは最後のエイド、ラ・フレジェール(La FLEGRE , 93km)ということになる。そんなことをボーッと考えながら歩いていた。もう走ることはできなくい。アタマがボーっとしていて補給をするなんてことも思いつかない。ただ歩くことしかできなくなっていた。完全にやられていたんだと思う。

しばらく進むと、バーコードチェッカーをもったおじさんがいた。ここがラ・フレジェールか。関門時間は10:30。時計をみると9時半前。フラフラしていたわりにずいぶん余裕ができた。これでゴールを完全に捉えたと確信した。

12キロおじさんの怪

この日も青空で日を遮るものが何もない。冷たい飲み物が飲みたい。ところがあたりにはエイドらしきものがない。「ウォーターはないのか?」と聞くとおじさんが「12キロメーター」というではないか?「ト、トゥエルブキロメーター?マジか?そりゃクレイジーだな」(おそらく原文ママ)とほとんど日本語で返して8km先のシャモニーまでトボトボ歩く。

時間を見ると10時。あの12キロのおっさんのところもあと30分で閉められてしまうんだなと他人事のように思っていたときだった。猛スピードで僕を追い越すランナーがいた。なんだあれは。そしてすぐさま今度は2人が駆け抜けていく。

この道は遠くまでよく見える道だが、これまでは足元ばかりをみてフラフラ歩いていた。ふと先を見てみると、遠くに何かが見える。あれは……テントではないか

いや、おかしいぞ。あの12キロおじさんが最後のエイド・フレジェールだろう。だとしたらあのテントみたいなところはなんだ???

もう一度時間をみる。午前10時過ぎ。さっき走っていったランナー。遠くにうっすらと見えるテントらしきもの…………ボーっとしていたアタマが少しずつ働き出してやっとわかった。あの遠くに見えるテントがフレジェールのエイドで、関門時間まで残り30分を切っていたのだ。要するにあの12キロおじさんはベンツ峠のチェックをしていただけだったのだ。おそらく12kmというのは、シャモニーまでの距離だ。

上の図のventsをFlegreと勘違いしていたわけだ。

フラフラ歩いていたことで、突然ピンチに陥ってしまった。このまま歩いていたら、10時半の関門には間に合わない。93km、ラスト10kmを切った地点でリタイアになってしまう。アタマが真っ白になった。ここからフレジェールのエイドまでの記憶はブツ切れになっていて、エイド手前の上り坂でスタッフの人に、もう大丈夫だと背中を押してもらったところまで覚えていない。頭に巻いていたBuffがなくなっていたことに気がついたのはエイドについてからだ。

最終エイド、ラ・フレジェールには関門時間10分前に到着残り8km12時までにシャモニーにつけば大丈夫だと説明を受ける。この関門をクリアーしても、最終ゴール時間に間に合わなければ完走にはならない。時間がない。急いでオレンジを食べ、コーラを飲む。ボトルの水を入れ替える。自分の体をよくみると、ウエストにライトをつけたままだった。それを外していると、隣の外国人に笑われた。こっちの人は腰にライトをつけないのだろうか。

ラ・フレジェールを出たのはちょうど10時半だった。エイドを振り返るが、私の後にテントから出てくる人がいない。
「……最後尾か」
長かったCCC、最後のセクションがいよいよはじまった。

シャモニーへ

90分で8km。コースはほとんど下り坂。元気であればなんともない距離だが今は違う。少しの傾斜でも、前腿がビリビリと痛み走ることもままらない。
「走ったら気持ちがいいだろうな」と思いながら、ゆっくり進むことしかできない自分のもどかしさよ。

「フィニッシュタイムはトゥエルブオクロックなんだよな?」と前にいた外国人男女ペアに話しかけた。さっきの区間で大きな誤解をしていたために、確認しておきたかったのだ。女性は英語がわからないらしく(私の言葉が日本語混ざりのハチャメチャなのが悪い)男性がこうこたえた「12時15分だ」……え?耳を疑った。「トゥエルブ・フィフティーンなの?」「サービスタイム

サービスタイム?そんなの聞いていないぞ。人によってサービスがあったりなかったりするものなのか?12時15分なら多少余裕が出るかもしれない、と思いながら2人を追い越す。

11時になった。だいぶ標高を下げたはずだが、街はまだまだ小さい。残り1時間、焦らないわけがない。でも走ることもほとんどできない。レース前日に訪れたフローリアに到着すれば、ゴールまでのイメージがつかめるのだが……。

フローリア、フローリアはまだか……とつぶやいていると「サービスタイム」の男女ペアが猛烈な勢いで追い越していった。明らかに焦っているようだった。さっきはなかったアルゼンチンの小さい国旗をザックにつけていた。あの野郎……サービスタイムなどないのだ、12時までにゴールしなければならないのだ。覚悟をきめて僅かだがペースアップする。

フローリアに到着したとき、時計を見たかどうかわからない。このまま走ればゴールできそうだというかすかな安心感があったことは覚えている。あと3km程度だ。このトレイルを抜けてロードに出れば、そこはシャモニーだ。

シャモニーの街に出たとき、すでに残り時間20分強だった。「これなら大丈夫」と思っていたが、ゴールとは反対方向に進むことになっており、動揺する。受付の体育館のある川沿いの道を歩く。街の人たちが「ブラボー!」と声をかけてくれる。いや、ちょっと待ってくれ。歩いているけど、俺はまだギリギリでゴールできるかわからないんだ。子供たちがハイタッチをしようと手を伸ばす。彼らに近づきたいけど、その時間的余裕もない。腕を彼らのほうに精一杯伸ばし、かろうじてタッチする。

12時に間に合うことを確信したのは「スーパーU」というスーパーマーケットのある通りに戻ってきたときだ。11時45分を過ぎていた。もう、大丈夫だ。

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よく見ると右上に日の丸がかけてある!

遅いゴールということもあって、たくさんの人から「ブラボー」と声をかけられる。これまでの人生でこんなに「ブラボー」と言われたことがあっただろうか。私はメルシーを連呼することしかできない、メルシーおじさんだ。

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人がたくさんなのだ

フィニッシュゲートが見えてきた。あそこに達すれば長かった101kmの旅が終わる。本当はハイタッチとかしながらゴールしたかったのに、気が付いたら走っていた。ここを走る体力は残していたんだなぁ。

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ゴール、やっと終わった。長かった。時間は11時50分を過ぎていた。ここまでギリギリのゴールはレースで初めてだった。確か制限時間は26時間半と聞いていたが、記録は26時間40分台。とりあえずフィニッシュ扱いになったから、いいんだよな???

ゴールをして、上の写真にいるMCの人とハイタッチ。MCの人は名前を読み上げてくれる。僕はいつものクセでゴールに一礼し、ゲートを去ろうとした。もうフラフラなのだ。

そのときだ。

「ちょっとお前待て待て」みたいなことをMCがいう。何か忘れ物でもしたのか。
「ジャパニーズ・アリガトウ・スタイルをもう1回やろう」みたいなことをいうではないか?「アリガトウ・スタイル?」お辞儀のことか。
いつものクセでしかないんだけど、こういうのは外国人にウケるのだろうか、今度はMCと2人でお辞儀。応援の人たちも拍手してくれたので、これでよかったのだと思う。これが異文化交流ってやつか。

ゴール後、倒れる

MCの人から離れてゴールの裏手に回ると、同じツアー参加者でとうの前にCCCをゴールした方たちが待っていてくれた。帰って来たぞ、という気がして本当にありがたかった。お礼をいって、UTMBのトップ選手がゴールするまでホテルに戻って寝ると伝えて歩きだした直後、建物の日陰で倒れた。

自分でも何が起きたのかわからないが、全身の力が抜けて立っていられなくなった。日陰が気持ちよさそうで、倒れ込んでしまった。それを見て慌てたツアー参加者の夫妻が水を持ってきてくださったり、濡れたタオルをくださったりして助けてくれた。まさかゴール後にこんなことになるとは。30分くらい起き上がることができなかった。たぶんこれ、熱中症だ。

ホテルに戻り、シャワーを浴びてUTMBのトップ選手ゴールまでの少しの間ベッドで眠ることにした。目をさますとすでに日は沈んでおり(トップ選手ゴール後)、私は裸で部屋の床に転がっていた。

完走者のもらえるフィニッシャーズベストを着て街に出た。UTMBを走り終えた早い人たちがゴールしている。街はにぎやかだ。
レストランのテラス席に座って、飲みたかったビールと、レース中は食べるのを控えていたチーズ料理を中心とした3品のコースをオーダーした。

オニオングラタンスープは完食できたものの、レース中から欲していたビール、そのとのチキンのグラタン?(またグラタン?)は半分くらいしか口に入れることができなかった。胃腸がボロボロみたいだ。

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デザートのパンナコッタも半分だけでした

ホテルまでの道、両手をジーパンのポケットに入れて、全身を左右に振るようにゆっさゆっさと歩いていると、肩をたたかれた。白人のグループで「おまえこいつと同じ歩き方してんな」みたいなことをいって、グループの一人を指さして笑った。その人もCCCのベストを着て、両手をポケットに突っ込んでいた。おお、同士よ!と握手をした。

夢のように楽しく、美しく、ハードな2日間だった。
本当にゴールできたのか不安だったが、このベストもあるし、間違いないのだろう。さっき眠ったばかりなのに部屋に戻るとあっという間に眠りについてしまった。
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つづく

CCC / UTMB 2015 その5

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は5回目。
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峠を越えてイタリアからスイスへ

Arnuva(27km)のエイドを抜けると、いよいよ難所グラン・コル・フェレ(Grand Col Ferret、2537m)への挑戦がはじまる。川を渡ったところからフェレ峠への長い長い登りがはじまる。4.5kmで770mほどの登り。書いてしまうと「そんなものか」といった感じなのだが、登ってみるとなかなか終わりが見えない。木々がないため先を行く人々の列が遠くまで見えて遥かかなたで途切れている。あまり先を見ると気が滅入るので目の前だけを見て淡々と進む。

途中で休憩している人たちも多いが、エイドで休んだのがよかったのかゆったりとしたペースであれば歩き続けることができた。周りの人たちも自分と同じペースを刻み続けており、抜かされることもない。周りを見て休憩をとるか悩んだが、このまま峠までいってそこで一息つくこととした。

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写真奥に見える川がArnuvaのエイドのあとに渡った川。かなり登るぞ。

Grand Col Ferretには2時間弱で到着。単に遅いだけかもしれないが、長かった。
ここが確かイタリアとスイスの国境だったはずだ。国境がどこだかわかれば昔のテレビ番組「あいのり」のように、せーのでジャンプして「スイス~!」とか叫ぶのを一人でやろうと思っていたが、バーコードの「ピッ」というチェックだけで終わってしまいどこが国境なのかわからなかった。

呼吸の乱れ、手足のしびれ、危機に直面

ここまで登り続けたのでさすがに疲れてしまった。周りには腰掛けている人、横になっている人なども多い。景色もすばらしく休憩するには贅沢すぎる場所だ。「それでは私も一休みしますかな」と横になった。

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この直後、体調に異変が出てきた。

横になってすぐ呼吸が乱れてきた。ゼーハー、ゼーハー。なぜ休んだのに具合が悪くなるのか、予期せぬ事態に戸惑っていると今度は手足がしびれてきた
なんだこれは!!! 富士山に登ってもこんなことなどなかった。高山病ではないだろう。ではいったい何なのか……。
寝そべるというよりは、うずくまるような体制でいると「Are you OK?」とスタッフが体を揺すりながら声をかけてきた。「オーケー、大丈夫」と答えたものの、なかなか起き上がれない。
ここで「ダメだ」とスタッフに告げたらレースは終わってしまう。ここにとどまっていたら立ち上がれなくなる気がした。低い場所まで行けばなんとかなる……に違いない、いやそうあってほしい。
なんとか立ち上がり、一歩ずつゆっくり下っていくことに。

ここから次のエイド、ラ・フーリ(La Fouly、42km)までは10kmに及ぶ長い下り坂の区間。自分のイメージでは足を使い切らないように気をつけながらも軽やかに下っていくイメージだったのだが、現実はまっすぐ歩くこともままらず、左右にフラフラしながら朦朧と進むのが精いっぱい。「この区間は抜けるだろうな」なんて思い描いていたのが恥ずかしい。抜かれる一方である。そして、スタッフだけでなくランナーにも「大丈夫か?」と心配されてしまう。情けない。
でもせめてシャンペ湖まではがんばりたいのだ。まだあきらめたくはない。

3kmほど進んだところからようやく走れるようになってきた。体がずいぶん楽になってきたのがわかる。原因はこのときまだわからなかったが、走ったり歩いたりしながら体調の峠は越えたと確信できた。
長い下り坂を下りきると再び川沿いの道に戻る。川を抜けるとやっと街に到着した。
そこからラ・フーリまでのロードはゆっくり歩くことにした。苦しい状況に打ちのめされたあと人々の温かい応援や人工的な街並みを見て心からホッとした。

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地元の子供達はゼッケンに書かれた名前を読み上げて応援してくれる、弱った身になるとこういうのに弱くなる

ラ・フーリには関門時間のちょうど1時間前に到着。フェレ峠でくたばっていたことを考えればよく挽回できたと思う。僕にとっては濃厚すぎる42kmだった。

CCCは街並みだけでなくトレイルでもハイカーの方たちの応援がすごい。「アレアレー!」とたくさん応援してくれる。参加者のゼッケンにはそれぞれ国旗がプリントされているので、選手間でも応援する人でも人目でどの国の人かわかる。ヨーロッパの人たちへの応援は「アレ!アレー!」であっても、僕が通ると「オオ!ジャポネ!アレーアレー!」と手を振ってくれることが多く、異国の地で一人の身には本当に励みになった。

これまでジェルばかりの補給だったが、ラ・フーリでは暖かいスープとオレンジをいただくことにした。オレンジはおいしくて10切れは食べたと思う。スープは普段飲むとしょっぱいくらいの塩気だったが、これが今はちょうどよく感じられた。外はまだ明るいものの19時を過ぎている。次のエイドに着く前に真っ暗になる。このエイドでヘッドライトを付け、念のためウィンドシェルを羽織って19時35分に外に出た。

シャンペの罠

次のエイドがシャンペ湖(Chanpex-Lac,56km)。コース最大のエイドだ。ラ・フーリの街を出たあともしばらくは下り基調の道がつづく。

道の途中で会った日本の方に、フェレ峠でダウンした話をしたら「しびれなどは熱中症ではないか」というアドバイスをいただいた。湿度が低いので日本のようにドバーっと汗を流すことがないので脱水を意識していなかった。自分が思っている以上に水分を出していて補給がたりていないのだろう。塩熱サプリを用意しておくべきだった。こんなに暑いとは思ってもいなかったのだ。

この区間は一番走りやすく楽しかった。トレイルを抜けると小さな街に入り、家の前には私設エイドがある。そこでお水やジュースをいただき駆け抜けていく。フェレのときの違和感は完全になくなっていた。

途中で見覚えのある場所があった。立ち止まって写真を撮る。

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走ってるときは気にならなかったけど、こうして写真でみるとなかなかスリリングな崖だ。

ここだ。間違いない。DVD「激走モンブラン!」で鏑木毅さんが前を走るスコット・ジュレクを見つけた場所だ。そこを少し進むと追い抜いたと思われる場所にもさしかかる。あのDVDがUTMBのきっかけだっただけに感慨もひとしおだった。

「シャンペ湖までの登りがけっこうきつい」というのは聞いていた。高低図を見ると400m程度で他の登りと比べるとたいしたことないように感じられるのだが、それはワナだという。登ってみるとその意味がわかる。きつい登りではないが、森のなかなので終わりが見えない。これまで先が見えすぎる登りで滅入ってしまったが、先が見えないのもストレスになる。なんて身勝手なのだろう、私は。ヘッドライトの明かりに頼りながら、当初最低限の目標としていた56km、Chanpex-Lacには関門時間50分前に到着した。

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ここは(私には関係ないが)家族らのサポートを受けることもできる、CCCではコース最大のエイド。テントも大きく、フードの種類も豊富だ。ペンネのようなものもあったが、私は引き続きスープとオレンジのみをいただく。その他の補給は手持ちのジェルだ。

ここで終えてもいい……

当初最低限の目標としていたシャンペ湖はクリアできた。だが……ここからのコース後半にそびえる3つのピークを果たして乗り越えられるだろうか。時間の貯金もない。達成感は十分ある。次の関門をクリアできるかどうかはわからない。
ただ体力はある。それなら関門にストップといわれるまでは前へ行こう。いけるところまで行こうじゃないか。

そう決めてから再びオレンジを5切れ口に放り込み、夜に備えて長袖に着替えてエイドを出た。エイドが混雑していて席を探すのに時間がかかったり、着替えたりしていたので、時間がないと焦っているくせに25分も休んでしまった。これで貯金はほとんど無くなっていた。

つづく

CCC / UTMB 2015 その4

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は4回目。
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バスでクールマユールへ。15年のバスはネット予約に

レース当日の朝は早い。9時のスタート前に、まずはシャモニーからイタリアのクールマイユールへ事前にネットで予約したバスで移動する。バスの予約は今年からネットで事前予約になった。クールマイユールまでは30分程度だろうか。トンネルを抜けて一気にイタリアである。

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バス。事前予約制だが、ラフなのはバスの時計が適当な時間をさしていることからも明らか。

スタートまで90分くらいあったので、到着後しばらくはアイスホッケー場のある施設で時間をつぶす。ここでお手洗いにいったり、朝食を食べたりしてまったりすごした。

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暖かいのでここでごろ〜んと横になっていた。

初の海外レース、外国人ばかりでビビったりするのかなと思っていたが、シャモニーに到着してから数日が経過しており環境に慣れてしまったようだ。これならフラットな気分でスタートに臨めそうだ。
この体育館のような待機場からスタートまでは離れていて、坂を登ってようやくスタート地点に到着する。ゼッケン番号ごとにブロックが指定されているので要注意だ。ドロップバッグを預ける人は荷物置き場が奥にある。余裕をもって移動したほうがいい。
ブロックに入ればあとは自分のスタートを待つだけだ。

CCC (Courmayeur – Champex – Chamonix)

ここでレースプロファイルを少しだけ。
CCCはUTMBの後半、クールマイユールからスイスのシャンペ湖を経由し、フランスのシャモニーへゴールする101kmのレース。累積標高は6100m。日本でいえば富士山を1周する「ウルトラトレイル・マウントフジ」(UTMF)の「静岡から山梨」(STY)的な位置づけと思ってもらえばわかりやすいだろう。
日本のレースと違うのはひたすら登って、ひたすら下るの連続であること。こまかなアップダウンはほとんどない。なかなか日本では味わえないコース、標高だと思う。
Profil-CCC-2015
UTMBコースとの違いは一つだけ。CCCはスタート直後にトロンシュの頭(Tete de la Tronche,2571m)というピークを越えてベルトーネ小屋に向かうが、UTMBはクールマイユールからベルトーネ小屋直行である点。

コースは、トロンシュ(2571m)とグラン・コル・フェレ(2537m)という標高の高い2つのピークを登り下りする前半部分と、56km地点のシェンペ湖を挟んで3つのアップダウンを繰り返してシャモニーに到着する後半部分に分けられると思う。

関門は8つ。トレイルレースでは基本的に関門時間と向き合いながら完走するのが私のスタイル。これまでのレースで最も難度の高いこのレースでもそれは変わらない。

Tableau-passages-2015-CCC

サポートを受けられる箇所は3つ。上のタイムチャートの緑色の箇所だ。私は単独で走るのでサポートはないが、CCC期間中も大会のシャトルバスはシャモニーから移動しているので日本からの参加者であってもバスで巡ってサポート可能。大会中はlivetrailというサイトでランナーのチェックポイントの通過時間、次のチェックポイントの予想到着時間が表示されるので、それを一つの目安にして移動すればいい。

あわよくば完走……というスタンスで

このレースに臨むにあたっての優先順位は以下のとおり

1:安全第一 = 帰国後職場に迷惑をかけるわけにもいかない。セーフティーに。
2:感謝の気持ちで = 海外レースまでこれたことに感謝
3:楽しむ = 頑張る!も大切だけど楽しむ気持ちをわすれずに
4:シャンペまでは行きたい = 56km地点のChanpex-Lacまでは関門をクリアしたい
5:あわよくば完走 = シャンペまで行けたら、完走を目指す

自分の実力を冷静に見つめると、こんな具合だろう。

DCIM100GOPROスタートはウェーブスタート。目標タイムの早い順に3つのグループが10分おきにスタートする。エントリーの際、調子に乗って高すぎる目標を掲げていた私はあろうことか、2番手から。大音量の音楽、何をいってるのかさっぱりわからないフランス語のアナウンス、歓声、日本のトレイルレースでは感じたことないにぎわいのなか、クールマイユールの街を駆け抜けていく。

天候は……この日も最高だ。

最初の1400メートルの登りですでにフラフラに……

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最初は10km地点のトロンシュまで1400メートルの登りとなる。ここはウェーブスタートになっても渋滞気味になりつつ、ゆったりと頂上を目指す。

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高低図では登り一辺倒に見えるが、ところどころにこうした下る箇所もある。最初のうちはのどかなトレイルなのだが、進むにつれ斜度が増していく。

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上の写真は牧場のフェンスがあるのでトレイルにヤギがなだれ込むことはないが、ロバがトレイルのど真ん中で立ち止まっていたりした。

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斜度がキツイ。スタートから握っているストックがもし折れたとしたらと思うとぞっとするほどしんどい。木々がないので上をみると果てしなく感じられる人の隊列が見える。「まだ登るのか……」グラン・コル・フェレが難所と聞いていたが、最初のこれもなかなかパンチの効いた登りで「聞いてねぇぞ」とかつぶやきながらひたすら登る。

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絶景の稜線を進む

この最初の長い登りをひぃひぃ言いながら登り切ると、目の前には絶景が広がっている。この稜線を駆け抜けて最初のエイド、ベルトーネ小屋へ向かう。ヨーロッパアルプスの壮大な風景に奪われながら、夢心地で走っていると脇見がいけなかったのかなんでもないフラットな場所で転んでしまった。え?なんで俺転んでるんだろう?と自分の状況が理解できないでいたままブラジルの国旗をつけたおじさんに担がれる。「オーケー、サンキュー」といって再び走る。ああブラジル人だから英語は不適切だったのかなと思ったのはもう少し走ってからだ。

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ベルトーネ小屋のエイド。水かと思ったら出てきた白い水(スポーツドリンク)があまりにまずくて一口で全部吐き出した。

15kmのベルトーネ小屋から次のエイド、ボナッティ小屋までの7kmは左手にモンブランやグランジョラスを眺めながら、フラット気味(といってもアップダウンあり)のトレイルを走れる楽しい区間のはずだ。私は最初の登りの疲労、そして転倒でけっこう滅入ってしまい、走れる区間であっても早くも歩いたり走ったりの繰り返し。まだ1/5しか走っていないのに疲労困憊。まだ時間に余裕はあるはず、セーフティーに。セーフティーに。

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22kmのボナッティ小屋。なぜ登りきった場所にあるのだ……(疲労)

この区間は水場が豊富で通りかかるたびに頭に水をかけたりして体を冷やした。上の写真からもわかるように天気が良すぎて、とにかく暑いのだ。日本の夏は8月末には収束してしまったが、こちらはザ・真夏日。僕が見たCCCのDVDでは吹雪いていたというのに、35度とかどういうこと!? そして湿度が低いので日本のように汗をかかない。この湿度の違いがのちに自分の認識を大きく狂わせることになるのだが、それはもう少し先の話である。

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アルヌーバのエイド、ここは広くて座って休める場所もあった。ただテント内は蒸し暑くてたまらん。

16:30という関門時間が設定されていた27km地点、Arnuvaのエイドには余裕をもって到着することができた。走れればもう少し楽だったと思うが、早くも余裕がない、コテンパテン状態だ。

ここから先はグラン・コル・フェレへの長い登りがまっている。水分補給、ジェルやベスパも補給して万全の体制で臨む。関門時間1時間前にエイドを出発した。

つづく

CCC / UTMB 2015 その3

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は3回目。
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レース前日である。
昨日の観光気分とは少し違う雰囲気である。

街からすぐそばメルヘンなカフェへ

運動するべきなんだろうか。よく考えたら、7月のおんたけウルトラトレイル以来トレイルへ行く時間が取れなかった。
「せっかくだから散歩でもするか」
無理のない範囲で歩くことにした。

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シャモニーの街を少し抜けるとこのトレイルだ。

向かうことにしたのは「ラ・フローリア」という小屋までの道。
比較的やさしく、小屋がとても綺麗だという。

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トレイルへ向かうと、さっそく駆け上がっていくランナーが複数。
明日はUTMBかCCCなのだろうか。ああいうのを見ると焦らないこともないが、こちらは長ズボンに一眼レフをぶら下げている。はしるのは無理だ。ゆっくり歩くしかない。

シャモニーから300メートルほど上昇すると「ラ・フローリア」に到着する。
山を抜けると一面がお花に包まれた異空間にやってきたようだ。

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小屋の入り口。ファンタジー。

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テラスに腰掛け山々を望む。ファンタジー。

少し汗をかいたので、テラスに腰掛けペリエをもらう。
お客さんは僕のほかにおばあさんが一人いただけだった。
小屋のおじいさんは優しい日本語で話しかけてくれる。僕の腕についた選手登録のブレスレットを見て「ここはUTMBのコースだ」と教えてくれた。
この花の綺麗な小屋の前を走る、つまりシャモニーへ向かう最後の道が今日歩いた道ということか。シャモニーに戻るときはゴールへのイメージを刻みながらゆっくり歩いた。

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2日後、この朝の散歩が最終局面で大きな精神的余裕を与えることになるとは思ってもいないのだった。

街に戻ってからはお土産の買い物を中心にすごす。TDSのゴールが佳境を迎えていた。日本人の方もちらほらいらっしゃったので「ナイスラン」と声をかける。TDSは非常に難度が高いと聞く。すばらしいフィニッシュだ。
TDSが終わると、OCCという昨年からはじまったショートレース(50km程度か)のフィニッシュが続々と。こちらは今朝スタートのようだ。

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夕食前に訪れたサロンのそばにあったオーガニックレストランではスコット・ジュレクがトークショーを開いていた。思わぬレジェンドの遭遇、これがシャモニーか!などと興奮。

レース前は日本食で力をつける

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夕食は和食レストラン「さつき」で。
メニューも店員さんも日本語で少しホッとする。現地のチーズ中心の食事にも飽きてきたのでいいアクセントになった。

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メニューに「おにぎり」があったので、朝ごはんにするためテイクアウトすることにした。これで当日もごはんを食べることができる。日本と同じかたちでレースに臨むことができそうだ。

前夜、装備の最終チェック

夜寝る前、最後の一度装備の最終確認。
これが最後、忘れ物はないか。慎重にチェック。

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ザックはAnswer4のFOCUS Ultra。これに全部収納可能。ただし、上の写真にはないが渡欧直前にゴールで着替えることになった。その着替えが加わったためザックに全部おさまらなくなったので、急遽ウエストバックを追加することになった。通常であればAnswe4のザックにすべて収納できた。最初は600mlのボトルを2本容易していたのだが、気温が35度で2リットル用意しろと言われていたので750mlのボトルを2本現地購入。これでも足りないのだが……。

補給はすべてジェル、これでは個数が足りないのだが、まぁあとは流れで。

準備の仕上げはこれ。
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コースのタトゥーシール。関門時間ギリギリの展開が予想される僕にはこのシールにある関門時間がわかれば十分だ。

これで準備はおしまい。

当日はクールマイユールへのバスが早い。早めに部屋の電気を消した。

つづく。

CCC / UTMB 2015 その2

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は2回目。
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世界中のレース、メーカーが出展する見所満載なブース

150826-01-12CCCの受付を済ませたあと、「サロン・ウルトラトレイル」というスポーツメーカーや世界中のトレイルレースが出展しているブースを見学。マラソン大会の「エキスポ」のようなものといえばわかりやすいか。走るよりもギアが好き、な私にはたまらない展示スペースだった。

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日本でもお馴染みのBuffは青いUTMBバージョン(3種)が販売。ブースではすでにオーソドックスな形のものは完売。選手は受付のときもらった袋のなかにbuffのスクラッチが入っており、割引で買えます。私は10%オフだった。

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こちらも日本では定番のシューズ、montrailの「BAJADA2」のUTMBバージョン。montrailのシューズを使っていないのですが、記念に買ってしまった。シュータンとインソールがUTMBのマークに。記念すぎてもったいなくて履きづらい。。。

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先日日本でも販売がはじまったWAA。はじめてみたけど収納の豊富すぎるウェアと軽量なザックを組み合わせることで、超長距離でも対応できる!みたいなのが特徴なのかな。ザック単品だとキツそうなので。

150827-01そして日本からはMIZUNO。えっ、ミズノってトレイルランニング扱っているんだっけ?という思いがないわけではない。それにしても……なんていうか、海外でもミズノはミズノなんだなっていう複雑な思いが込み上がってくる。
ちなみにアシックスはシャモニーに路面店がある。UTMBウィナーのグザビエ選手をサポートしているようにこちらのトレイルシーンにも食い込んでいる様子。

そのほかレースの出展ブースも幾つか見学。日本だとウルトラトレイルに出場するのは抽選もあったりして限られているけど、少し移動すれば、国境を越えればたくさんあるんだなぁと。

ちなみにブースに出展していないメーカーの路面店では、トレイルランナー割引を実施しているショップが多いので、買い物のときには選手登録のときにつけた腕輪が見えるようにしておくといい。

ブースの隣にはビブラム社の巨大なトラックが停車しており、そこではあらゆるシューズのソールをビブラムソールに張り替えてくれるサービスを実施していた。僕がいったときはすでに受付が終わっていたが、ソールの磨り減った古いトレイルシューズなどを職人が直している様子が見学できた。

TDSトップ選手のゴール

カフェで夕食(ピザ)を食べていると通りに人が集まってきた。どうやらTDSのトップ選手がやってくるという。少し待つとやってきた!

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渾身のガッツポーズだ!歓喜に溢れるシャモニーの街だ

すっかり観光気分でシャモニーやモンブランを満喫してきたが、「ああそうだ、走りに来たんだった」と思い出した。少しだけ意識にスイッチが入った。しかし、スイッチが入ったといっても何をするわけではない。ビールを飲んでゆっくり眠るだけでなのである。

レースまであと2日あるのだ。

つづく

CCC / UTMB 2015 その1

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。

ジュネーブ経由でシャモニーへ

レースの主な舞台となるモンブランの麓、フランスのシャモニーへはスイスのジュネーブ国際空港からバスで入るルートが一般的のようだ。フランス、スイス両国ともシェンゲン協定に加わっているので、国境でのパスポート提示は不要。気がつくと国境を横断していて昔のテレビ番組「あいのり」でみた「国境をジャンプ!」する感覚はない。

朝成田発の飛行機に乗り、到着したのは現地の夜。ホテルにチェックインできたのは夜の10時過ぎ。家を出てから20時間が経過していた。さすがぐったりしてしまって、何もする気がおきないが、少々お腹がすいていたので外を散策。

150826-01街の中央にはゲートがあり、ついにこの街に来たんだなという実感がわく。明日の朝にはTDSがスタートする。まだ私のレースまでは余裕がある。飲食店に入るのも気が引けたので、マクドナルドでチーズバーガーを食べる。
ホテルに戻ると携帯に「気温がめっちゃ上がるから水2リットル用意しておけ」といったメールが大会から届く。本気か?
就寝。

シャモニーは連日の好天

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朝は秋から冬にかけての鋭い寒さがあったものの、日が昇れば一気に気温が上昇するシャモニー。雨が降ったり雪が降ったりすると聞いていたので、防寒系の服ばかりもってきて、ショートパンツは1枚しかもってきていない。大失敗だ。

この日はレース2日前。午後には選手受付が始まる。
その前はフリーだったので、朝はエギュイ・デュ・ミディの展望台へ行ってきた。ロープウェイを乗り継いで一気に富士山よりも高い標高3800mへ行く。階段を上ると、さすがにフラフラしてしまった。富士山頂ではなんともなかったのだが。展望台については時間のあるときに後述する予定。

思っていたよりもスムーズでラフな選手受付

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選手受付の場所は街の中心部から少し離れた体育館(?)で行われる。150826-01-4レースごとに受付時間が異なり、UTMBとCCCは午後4時から受付とあった。混雑するのがいやだったので、30分前に到着するとすでに両レースの受付がはじまっていた。

日本の大会だと受付の際に提出する書類などが事前に郵送されてくるが、UTMBに関しては大会ガイドと地図しか送付されてこなかった。ネットでゼッケン番号を確認できるが、念のため貼り出された選手リストに自分の名前があるかチェック。

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受付ではパスポートを提示して本人確認する。パスポートの写真が茶髪の長髪だったので「髪型が全然違うじゃないか」と突っ込まれ苦笑いである。150826-01-7

そしていよいよ「装備品チェック」に取り掛かる。

UTMBに出場する選手には多くの必携品が定められ、レース中はそれを持つことを義務付けられている。チェックポイントでの抜き打ちチェックもあり、不携帯時にはペナルティもある。一応過不足なく揃えたつもりだが、ここで引っかかるのはいやだなぁと思っていた。
一つひとつ調べられることも覚悟していたが、下の写真右手にある必携品リストのなかから矢印のついていある項目をザックから取り出し、トレイに載せるという内容だった。
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私の場合は、雨具(上のみ)、タイツ(足が覆われれば可)、携帯電話、エマージェンシーシート、そして帽子orバンダナだった。

150826-01-9これらを係の人たちがチェック。特に雨具は細かく生地や止水できるかを確認していた。あとで別の人にきいたところ、雨具と携帯だけだったという人が多数だった。最初のほうはそれなりにやって、人が増えたら最低限、といったチェックなのかもしれない。ただ、山では何が起こるかわからない。全て自己責任の世界です。必携品チェックはしっかり行われる前提で、受付に臨むべきだ。

ザックのチェックが終わると参加Tシャツと腕にはリストバンド、ザックにはタグをつけて受付終了となる。注意すべきはザックに計測タグをつけるので、受付後にザックの容量を大きくしたいから変更しようといったことはできないこと。事前に補給食などもがっちり固めた上で受付しよう。

150826-01-6受付の場所では、サポートとして各エイドを回る人のバスチケットも販売している。また僕がいったときは日本人のスタッフの方がいたので、あれこれ話をきいてもらった。

150826-01-11長い受付を終えると、長蛇の列が。これなら装備チェックが短縮されたというのも納得である。

このあと、各企業や世界中のトレイルレースのブースがならぶ「SALON ULTRA-TRAIL」へ向かったのだが、それらの感想はまた次に。

つづく

OSJおんたけウルトラトレイル100K

150719-01林道を下って到着した50km地点。中間地点だ。
今年はロードでチャレンジ富士五湖野辺山ウルトラマラソンを2本走っている。3月の大江戸ナイトランも含めると今回で100kmクラスは今年4度目。疲労はあるけど、深刻ではない。あっさり到着した。

ただ、いつもと違って体調の不具合が一つ、僕を悩ませていた。

真夜中のスタート、辿り着かない関門

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おんたけウルトラトレイル(100kmの部)のスタートは24時。ヘッドライトやハンドライトで足元を照らしながら真っ暗な林道を駆け上がっていく。台風の影響で雨が続き、ぬかるんだトレイルや水たまりを警戒しながら前へ進む。スタート時は雨が降っていなかったが、ほどなく雨模様に。

高低図を見ると登りが長くつづく区間だが、思いのほか走れてしまう。これはいいのか悪いのかわからなかったが、もうすこしするとこれは正解だったのだと気づく。

スタート前のコース説明で、第1関門が32kmから35kmに変更になったと説明があった。ところがこの第1関門が一向に見えない。たどり着く気配もない。長い登りで隠すことのできなくなった疲労で焦りが倍増される。一体どうなっているんだろうか。

結局第1関門(兼エイド)は38km地点にあった。時計を見ると制限時間の40分前。お手洗いに並び、補給をして出発する。おにぎりを食べたりして長居をしてしまったみたいだ。気がつくと関門時間は20分前。スタート前から時間の厳しい区間だと思っていた。この3kmの延長で間に合わない人がけっこう出てくるんじゃないか、そんな予感がした。前半少しプッシュしておいてよかった。

走りたくても走れない下り坂

ホッと一息つきたいところだが、雨が強くて余裕はない。厳しいレースになりそうな予感しかない。ここからは走れる区間が続くので第一関門で時間がかかった人は走って挽回できるとスタート前に説明があった。

ところがここで体が異変を告げる。お腹が……痛いのだ。具体的いうとお腹を下してしまった。お手洗いまでは10km先……。少しでもお腹から意識を離してしまうと、お腹が決壊してしまいそうだ。ランニングどころではない。だが下り坂はいつものようにリラックスして走ると、お腹が下ってしまいそうだ。お腹最優先で慎重に恐る恐る、ゆっくり下っていく。トイレに辿りつかなくては……。
気がつくと雨はあがり、夏の日差しになっていた。

こうしてたどり着いたのが50km地点。50kmすぎには小エイド(水のみ支給される)とお手洗いがある。ここが今の僕にとってはひとまずゴールだ。OSJのエイドは貧相で期待できないと事前に聞いていたが、トイレも過酷だ。仮設トイレは1台。当然並ばなければならない。これもまた苦しい。タイムロスは痛かったが、「危機」は乗り切ることができた。第2関門までは4時間ある。距離は13km。大丈夫だ。いけるぞ。

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フラットな区間が続く

天候激変、第2の危機到来

お腹の危機を乗り越えたことで薄暗かった先行きに一筋の光が差しこんだ。だが、それも長く続かなかった。第2関門に向かう林道で再び天候が悪化。しばらくはシャワーラン程度の心地よさで、暑いよりはずっといいなと思っていた。
第2関門は 63kmという案内だったが、63kmを通過しても関門の気配すらない。これもまだまだ先にあるのだろう。苛立ちは募り、雨は強くなっていく。レインを羽織る人も増えているが、関門まではいいかなとそのまま進む。

「おい関門いい加減にしやがれ!」と苛立ちが頂点に達しようとする頃ようやく第2関門に到着。少し先にはエイドもある。これが68km地点だろうか。ここではドロップバッグが受け取り、すぐさまコーラを飲む。うまい!一気に生き返る。ここに来て雨が本降りというよりは豪雨っぽくなってきた。濡れたTシャツを脱いで、預けていた新しいTシャツに着替え、ザックの中に入れていたレインを羽織る。
よし!準備完了!といったところで気がついた。
体が……震えてきた。雨のなか濡れた服で立ち止まっていた時間が長かったのがよくなかったのか、ブルブルしてきたのだ。「これは危ないやつかもしれない」そんな気がした。低体温症になるのかもしれない。
出発前のトイレに並んでいるとき、目を閉じるとそのまま寝落ちしてしまいそうにもなった。恐怖心が増幅していく。幸いここから持ち直したのは仮設トイレのなかが比較的暖かく、そこで体や意識をうまく切り替えられることができた。リタイヤのテントのほうに目をやるとたくさんの人がリタイアをしているようだ。僕と同じように寒さが原因という人が多いのではないだろうか。
「よし!出発!」というところで、レインパンツに着替えている人を見て、僕も真似てレインパンツも履いてきた。Tシャツの替えは用意していたが、パンツは用意していなかった。だがレインパンツならザックにある。これなら持ちこたえてくれるのではないだろうか。完全にハイカースタイルになったが、仕方ない。これが今の実力なのだ。体は絶対に冷やさない、多少暑くてもそっちのほうがマシだ。
「こうなったら絶対にゴールだけはしてやる!」と心に誓い、力強く歩く。次のエイドまでは15kmあるんだとか。

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お腹は再び下る

そんな自分の力強いハートに釘を差したのが、再びやってきた腹痛だ。ガシガシと追い越しながら進んでいたのに、下りを恐る恐る走るものだから追い越されてしまう。次のエイドまで10kmあるのか、持ちこたえてくれよ〜と祈りながら慎重に進む。本当なら下り坂が多いので軽快に進めるパートなのに残念で仕方ない。やれやれと思いながら、たくさんの人に抜かされる。

復活のそうめん

2度目の腹痛を乗り越え、最後の関門に到着。今回のおんたけでお腹との向き合い方がうまくなったのは果たしていい収穫なのか。これまでは「水」を中心に味気ない出し物しかなかったエイドだったが、ここでは唯一「そうめん」が支給される。お手洗いを済ませ、完全復活。その後のそうめんがうまかった。「復活」ということばがこんなにマッチしたそうめんがこれまであっただろうか。
2杯いただき、いよいよゴールに向かう最後の区間に。

これまで「いくぞ!」と意気込んだ区間を2度の腹痛で足止めされてしまったが、最終区間にしてやっと「走る」というモードに。登りはガシガシ登って、下りは走り抜く。けっこう人も追い越すことができた。もっと早くこういう走りができていればずっと楽だったのに、スタート前のトイレマネジメントをもう少しシビアにやっておくべきだったなと反省。
トレイルの区間は走りきって、最後の水エイドに到着。ここで給水とこれまで走ってきた疲れをとって、最後のロードはまったり歩いて進む。関門にひっかかることはまずない。前も後ろも人がいない。静かな時間だ。

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100kmの部なのに「100km地点」を通過するミステリー

ゴールの運動公園手前の長い坂を登りきったあとはゴールまで走った。レインパンツは途中で脱いだけど、体をひやすことが強かったので雨はあがってもレインは最後まで着たままゴール。17時間以上もかかってしまった。
トイレの一つひとつが悔やまれたり、諦めずにやりきったことがよかったのではないかと達成感があったり、複雑なゴールとなった。

今回はレース中に起こる予期せぬ事態への対処が遅かったことが結果として体調の悪化につながってしまった。「ダメかもしれない」と思ったら悩まずにウエアを羽織る。悩む、逡巡するといったことがあとあと大きなダメージとなってかえってくる。リスクマネジメントというか、その鈍さを見直さないといけない、と強く感じた100kmだった。去年のハセツネでも着替えにまごついて時間を大幅にロスしていることを思い出した。こういうレース展開になると、経験の浅さが露呈してしまう。

林道が延々と続いて単調、修行のような大会と聞いていたけど、個人的には上で述べたようなトラブルへの対処を繰り返しているうちにあっという間にゴールしてしまった感じ。変化に富んだトラブルで違った意味で飽きが来なかった。

次走るときは走力抜きに上で述べた部分を改善するだけでグーンと成績がアップしそう。そう、自分の伸びしろをめっちゃ感じた100kmでもあった。

スパトレイル 四万to草津

昨年に続き、今年もスパトレイルに参加。
80kmだった距離が72kmになったので、これはだいぶ余裕が出るなと思ったのだが、蓋を開けてみるととんでもない、去年よりもヘヴィーな温泉旅となった。

コースは4割程度変更

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2回目のブリーフィングでプロデューサーの鏑木さんから昨年と比べてコースが4割程度変更になったという説明が。主に後半が中心。

そして56〜57kmには階段700段の区間が用意されているという。これは「走れる北米スタイル」の大会に加えたアクセント程度のもの。鏑木さんと共にプロデュースしている松本大さんが取り組むスカイランニングの種目バーチカルらしさを取り入れているんだとか。
高低図にはその階段ゾーンの登り具合がはっきり出ていないのが気がかり。とりあえず「56km要注意」と頭に叩きこんでブリーフィング終了。

温泉は何度も入るべし

ブリーフィングが終わると、バスでスタートのある四万温泉へ。
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ここで1泊することになる。
翌朝のスタートが5時と早いため、夕方に到着しても以外とゆっくりできる時間は少ない。
オススメは前日早めの時間に受付して、できるだけ早く四万温泉の宿に到着し、温泉に何度も入ること。宿によっては温泉の種類が豊富だったり、時間帯によって男女の入浴時間をわけたりしている温泉もある。私のとまった宿は2種類の露天風呂の入浴時間を男女ごとにわけていた。
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限られた時間でとことん楽しみたいのならば、宿は早めに。温泉にじっくりといったところだろうか。
当日は2時過ぎに置き、3時にはスタート地点に向かった。
大会の2時間前の到着は少々早いのだが、いつも2時間前には到着しているので、いつものリズムで臨むことに。

走れるからこそ走らない

「走れる大会」が売りとなっているスパトレイル。 昨年の失敗はその大会の特徴にあった。前半の林道の登り、そして下り基調のトレイルが楽しくてかなり走ってしまったのだ。 その結果、野反湖まで続く5キロの登りで疲労はピークに。意識が朦朧としたまま野反湖を半周し、エイドに到着した記憶がある。
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昨年一番失敗したのがこれ。
だから今年は決めた「走らないぞ」と。
走る目安を心拍数で判断した。160を超えたら歩く。152、3になったら小走りをする。走ろうと思えば走れるが敢えて歩く。 これが正解かはわからないが、歩いた時間が長いだけ10キロ過ぎの給水ポイントについても体全体に余裕が感じられた。 舞い上がっている感じもない。 最初のエイドまでの道は一部コース変更されていて、林道がメイン。 下り坂は走るが登り坂では歩く。
150628-01気がつくと20キロを通過。ここまでは5月に走った野辺山ウルトラマラソンのようなコースだ。トレラン……ではないな。

第1エイドを過ぎるといよいよトレイルに。 川を渡ってシングルトラックを抜けると、野反湖への登りへ。
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昨年はひたすら登り続けてフラフラになった記憶ばかりだったが、今年はかなり余裕がある。自分の記憶よりもフラットで走れる部分があった。もちろん登りは長かったが、ここまでの距離が去年より短いこともあってか、とても楽に野反湖へ到着することができた。 野反湖畔を半周する心地よいコース。 レンゲツツジの鮮やかなオレンジがとてもきれい。
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みとれながら走ったり歩いたりしていると、遠くからショートコースの開会式の声が聞こえる。 その声をラジオのように聞きながらエイドへ。 ショートのスタート地点でもある第2エイドへ到着するとちょうどスタートが一服したところだった。
150628-01-4ここが35km地点だからだいたい半分。コースの難所は越えたかなと思っていた。
そこまで疲れていなかったので、座ることなく舞茸のうどんを食べてさっと後半戦へ。

後半戦は未知の大会へ

150628-01-5野反湖を一周し、最高地点の弁天山頂上。そしてそこからがこの大会で一番気持ちのいい下り基調のトレイルが続く。去年は途中から林道になり「なんだかなぁ」という気分になったが、今年は気持ちのいいトレイルで一気にエイドまで下りていく。

気持ちのいいシングルトラック

気持ちのいいシングルトラック

足湯のある第3エイドまでは去年と同じ。ここからゴールの草津温泉までのルートは未知のルートとなる。集落を抜けて進んで行くとかそんな説明を聞いた気がする。

これまでトントン拍子でやってきて、こんな勢いでゴールまで行っちゃっていいのかな?想像以上に早く到着しちゃうんじゃないの?なんて余裕が生まれてきたのもこの頃で、この甘い幻想は間もなくぶち壊されることになる。

150628-01-8天候は雨が予想されていたが、なんとか持ちこたえてくれただけでなく、第3エイドを過ぎてからは晴れ間も見えて日差しの強さが感じられるようになってきた。登り基調で日陰がない。これはなかなか堪える。

ロードの登り坂については走っている人が多かったが、気がつくと体力的な理由で走ることができなくなっていた。仕方ない、これからは淡々と歩くのみだ。そして「だいぶしんどくなってきたなぁ」と思ってきた頃に、56km地点の階段にたどり着くのだった。

メインディッシュは階段ゾーン

階段は滝の脇を登っていく道で、入り口に丁寧に「階段70⚫︎段」とかいてある。オフィスビルの階段なら慣れているが、この階段がなかなかの急登。

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階段っていうか、ハシゴみたいな階段がところどころにあって、これは手を離したらアウトっぽいなと慎重に進む。ところどころで足を休めている人たちも。階段はかなり苦手だが、休まずゆっくりでもいいからとにかく上へ上へと進むことに。段数は本当に700段あったのかわからないが、気がつくと滝の音は聞こえなくなっていた。

滝が終われば第4エイドまではもうすぐ。ロードをとぼとぼ歩いていると、地元のおばちゃんから「階段どうだった?」と声をかけられた。「いや〜、死ぬかと思ったよ」と返すと「あんた、みんなあれじゃ死なないわよ」と笑われてしまった。

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階段を終えた場所にある第4エイド。おばちゃんたちが元気いっぱいだ

この11.5kmの区間がスパトレイルで一番苦しい区間だった。これまでエイドで座ることはなかったが、ここではじめて座り込んでしまった。

走れる終盤のコースで、走りたくても走れない

ここまで58km。次のエイドまでは6km弱しなかない。楽勝楽勝〜と思っていたが、もう走る力はなくなっていて、登りも下りも歩き中心。正直階段を過ぎてからの記憶は曖昧で、この最終エイドまでの区間になにがあったのか覚えていない。ボーっとしたまま進んでいたのだろう。

150628-01-11気がつくと最後のエイドに到着していた。ここではお蕎麦をいただく。
残り8km。走る気力はないが制限時間内にはゴールできそうだ。12時間を切ることは……できるかな。ギリギリかな。

ロードと林道が中心の終盤、走れる力があればとても心地いい区間なんだろう。自分はといえば走りたい、でも走れない。ここで走ったらどこかで息切れしそうだ。早歩きで、同じように歩いている人たちを抜いていく。

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70km地点まで来た。あと2km。時計を見る。ひょっとしたら12時間を切れるかもしれない。走っては歩き、走っては歩きを繰り返す。

どれだけ進んだのだろう。僕の手元のGPSでは、距離の誤差はあるもののもうすぐ72kmに到達しそうだ。ところがゴールが見えない。人のいるような声や騒ぎも聞こえない。駆け上がる人に声を掛ける。
「あとどのくらいですか?」
「今71.7kmだからあと1kmくらいですね」
あと……1kmだと……。実は第3エイドでジェルのゴミと一緒に誤って高低図の切り取りも一緒に捨てるミスをしてしまったのだ。なのでそこから先はコース展望については何もわからないまま進んでいた。距離も72kmだと思っていたが、実際は700mプラスなのか。

これでは12時間切りはムリだ。しばらくすると、遠くから17時を告げるメロディーが聞こえた。12時間経過。終戦。

ゴールは12時間1ケタ分。終盤で突発的に掲げた目標の達成はできなかったが、エイドの休憩時間はどこも短めで終えることができたし、昨年の失敗を踏まえて前半のペース配分を組み直すこともできた。
やれたこと、やれなかったこと、それぞれあって達成感や改善点が見えた充実感溢れた72.7kmだった。

距離は短くなったけど、コースの難易度はあがったと思う。ロードの区間が確かに多いかもしれないが、階段も含めて盛りだくさんな内容で存分に楽しませてもらった。この大会のために準備を重ねてきた大会関係者の方々には感謝の気持ちしかない。

ゴールの草津温泉で体をしっかり休ませることができればよかったのだが、帰りの電車などを考えるとそんな時間もなく、ゆっくり着替えをして電車で横浜へ帰った。

去年は手配していた東京行きのシャトルバスに間に合わず、草津温泉で一泊するというトラブル?があったが、今回の距離、制限時間であれば東京までのシャトルバスのほうが助かる。疲れた体でバス2本乗りついで駅へ行き、そこから乗り継ぎを重ねて帰るのはとてもしんどいからだ。行きはともかく、帰りはバスの復活を願う。

第21回 星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン

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「野辺山を制する者はウルトラを制す」という言葉が前日のコース説明会で何度も繰り返された。それだけの難コースなのだろう。

先月のチャレンジ富士五湖100kmの部は制限時間35分前のゴール。それ以上の難易度の野辺山ウルトラマラソンは相当厳しい展開になることはわかっていた。

スタート時刻の午前5時は、5月とはいえまだまだ寒い。薄手の上着を羽織って走り出した。

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本レースには前半と後半に2つのピークがある。
1つが20km付近の八ヶ岳横岳中腹(1908m)、もう1つが79kmの馬越峠(1620m)。2つ目のピークまで足を残しておくことが重要という話だった。そのためには1つ目のピーク後にある下り坂を飛ばしすぎない……これがカギだという。

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少しずつ八ヶ岳の姿が見えてきくる。前半は1つ目のピークを目指すトレイル区間だ。トレイル、といっても砂利道の林道だから走れない区間ではない。

コース最高地点までは下り坂はほとんどない。要するに登りっぱなしだと思ってよい。トレイルランニングだったら「登り坂だしゆっくり歩きますか〜」という感じだが、野辺山の人たちはこの程度の登りは淡々と走っていく。恐ろしい。つられて私も走ったり歩いたりという展開に。

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そんなことを繰り返しているうちにコース最高地点に到着。
丁寧な看板まで用意されている。登ったなぁ〜という達成感に包まれるが、まだまだレースは序盤。まだ始まってもいないような距離だ。

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ここからは下り基調!などと張り切っていたが、意外と登り坂が多い。見た目はフラットに感じるのに、倍以上の重力を感じて走ることができなくなっていた。下りで足を残す云々ではない。おしりの筋肉が早くも悲鳴をあげているではないか。弱ったなぁ。

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本コースは42km地点と71km地点の2箇所にドロップバッグをおくことができる。42kmにはTシャツとVESPA、72kmにはTシャツ、VESPA、ジェルと麦茶(フラスクへの補給用)を用意していた。気温も上がり、日差しも強く、かなりの汗を流していたので42kmではシャツを着替えた。その他給水やお手洗いなども含めると10分程度休んだはずだ。素早く動いたつもりでも、もたつくものだ。どうせ暑いし汗もかくのだから71kmで着替えする必要はないと判断した。

一つ目のピークを終えると50kmまでは長い下り坂が多くなる。「足を残す」ということが頭に残っていたので、慎重かつ軽快なペースで走ることを心がける。

50kmの関門までで制限時間の1時間前に到着していた。登りが遅い分ある程度は下りで稼がないと厳しい展開になることはわかっていた。1時間の貯金というのは「余裕」があるわけではないけど、厳しいってほどでもない、というのがそのときの感想。欲を言えば90分くらいは欲しかったのだが。

ポケットにはコースの高低図を入れていたので、関門で給水したあとに確認していた。この高低図、アバウトすぎてまったく使えない。現実はこの地図以上に起伏に富んだコースで、トレイル区間から独り「なんじゃこりゃ!」を連呼していた。ただ、走り出した今はこれだけが自分が今知りうる最大の情報なのだ。「なんとなく上り基調」「なんとなく下り基調」程度の認識をインプットして前へ進むほかない。

50〜60kmまではどちらかといえば上りの多い区間。60〜65kmはどちらかといえば下りの多い区間だった。上りは無理して走らずてくてく歩く。下りは走る、ゆっくりでもいいから。フラットな区間はほとんどなかった。そして65〜71kmは険しい上りの区間。多少フラット気味なところはあるが走らない。コースの全体像がつかめない以上あとあとのこともかんがえて慎重に進まねばならぬ。

「このペースだと貯金もかなり切り崩したかな」と思ったのだが、71kmの関門に着いたのは1時間15分前。貯金は増えていたのだ。これには驚いた。得した気分でドロップバッグを受け取り、フラスクの麦茶を補給。減っていたジェルを補給するなどして関門1時間前に出発することができた。さぁ、ここからが馬越峠への長い上りのスタートだ。

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目指すは79kmの馬越峠。上の写真のようにパッと見ると大したことのない傾斜に感じられるかもしれないが、駆け抜けていく人は私の位置ではほっとんどいない。多くの人が黙々と、時にうつむきながら歩く。
「もうすぐピークかな?」「もうすぐだろ?」「どうなってんだ、おい」と進むにつれ一向にたどり着かないピークに苛立ちを隠せなくなる。その一方で不思議なことに歩きながらこの区間は私にとっては追い越し区間となり、気持ちは高ぶっていた。それほど不可をかけず淡々と歩いていたのだが、かなり追い越していたのだ、同じように歩いているランナーたちを。
気持ちは高ぶっていても、徐々に傾斜はきつくなり、ふくらはぎが悲鳴をあげはじめてきた。これは一旦立ち止まって足を休めるべきなのか、悩みはじめる。そんな頃にやっと79kmの関門にたどり着いた。

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到着は関門の1時間前。悪くない。残り21km。最大の難関は終わった。ここからは下り基調で87kmの関門を目指す。

ん?まてよ?
このまま、関門1時間前近辺を進んでいくとゴールには13時間ちょっとで到着してしまうのでないだろうか。それだと富士五湖よりも早い。想像するだけで嬉しくなってしまった。ニヤけてしまったかもしれない。

だが、本当の地獄がやってくるのはまだ先のことだ。
当時の私は何もわからなかった。

馬越峠からは85km地点までほぼ6kmひたすら坂を下り続ける。上り坂で足を消耗していたので、下りでスピードを上げるとか飛ばすとかできなくなっていた。そして85kmに到着。あとは2kmフラットな区間を走れば関門に到着だ。

ここで身体の異変に気がついた。
フラットな区間を走るのがつらい。呼吸が荒いのだ。
無理するところではないので、歩きを多めにして87km地点の関門へ。貯金は53分程度。ここではエイドのうどんを食べて力をつける。だが身体の具合がよくなる手応えはない。

とぼとぼとしたペースで90kmの地点を通過。ここからが本当の地獄だった。高低図では比較的ゆるやかな上りの区間と捉えることができるが、残りの10kmは気力が問われる10kmだ。すでに体力も脚力も残っていないなかの上り基調。これはきつい。おまけに自分は走ることができない。

時計を見る。気がつくと1kmを10分で進まなければ完走は難しい展開になっていた。走れればなんてことない楽勝ペース。だが、今はこれを達成することがやっとだ。少し走って、歩く。また少し走って、歩く。時計を確認して焦ってまた少しだけ走る。90km地点を過ぎてからは一番苦しい時間だった。

そんなことを繰り返しているうちに制限1時間前になった。距離は5km。

あと5kmか……。ギリギリだな。
キロ10分のペースもきつくなってきたのだ。
スタート後朝日に照らされていた八ヶ岳は、気がつけば夕日をバックにシルエットを映し出している。空が暗くなってきた。

「急がなくては」と思っても走れない。歩くだけでも呼吸が乱れる。

残り時間30分のところで「あと2km」の看板が見えた。
「大丈夫だよ、ゴールできるよ」という街頭応援の方の声が聞こえた。
「あと2kmだ。これなら大丈夫だ」やっと安心できた。

もう無理する必要はない。
長い1本道、スパートをかけるたくさんのランナーに追い越されながら淡々と歩く。早くもないし、タフでもない。ただ、諦めは悪い。走れなくてもいい、とにかく俺はゴールするのだ。

ゴールが近づくにつれ街頭で声をかけてくる人たちが増えてきた。もうゴールした人たちなのだろう。身なりや顔でなんとなくわかる。こちらは走ることができないので、彼らにゆっくり手を振りながら歩く。

最後に走ったのは、ゴールへとづづく上り坂の区間だ。距離にして100mほどだろうか。走り始めてはみたものの思っていた以上にゴールが遠くて、苦しくて、それでも嬉しくてたまらない時間だった。

ゴールしたのは制限時間の10分ちょっと前。
危なかった。マジでギリギリだった。もうとっくに着替えも終えている予定だったんだけどな。

「野辺山を制するものはウルトラを制す」と言われているみたいだけど、本当にきついコースだった。再びチャレンジしてみたら、もっとうまくできるだろうな。最後の10kmはひたすら歩き続けたことは反省点だけど、歩いてでもゴールできたことは大きな手応えとなった。
キツさはハンパない。だけど、走ってみる価値のある大会だと思う。

参加者ならびに関係者の皆様、おつかれさまでした。

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