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上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル (1)

随分前のことになってしまった。9月に開催された「上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル」について自分の記憶を書いてみようと思う。

大会会場には、東京駅から新幹線で上毛高原まで行き、そこから事前に予約したバスで向かった。

120kmの部門なのに129kmあるんだぜ的な難コース

この大会は、わかりやすく言うとショート、ミドル、ロングの3カテゴリーに分かれており、私が今回参加したのは、「第3回川場村 山田昇メモリアルカップ120」というカテゴリー。

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大会前日に開催されたコース説明の様子。プロデューサーの横山峰弘さんによる丁寧な説明。トレイルランニングは練習しなければ完走できない難しいスポーツ。みなさん家庭を犠牲にしてこれまで練習してきたと思う。完走して、今度は家族サービスに尽くしてくださいというアドバイスが泣ける。

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120kmのカテゴリーだが、コースは129kmで累積標高は9200m程度とのこと。有名な100マイルレースUTMFが165kmで累積標高が7500m程度だということを考えるとこの大会のレベルの高さが分かると思う。

またコース中に、剣ヶ峰(2020m)、上州武尊山(2158m)という2000m以上のピークを擁するのも大きな特徴で、国内のウルトラトレイルではなかなか味わうことのできない「山岳」レースとなっている。UTMBなど険しいヨーロッパのトレイルレースへの出場を考える人であれば、UTMFよりもこちらの方が参考になるのでないだろうか(UTMF出たことないけど

説明と受付(熊鈴やポイズンリムーバー、雨具、ファーストエイドなどのチェックあり)を済ませた後は、大会の手配してくれたバスで宿に向かい、明日に備えた。

……のだがあまり眠ることはできないじゃないか。どうした俺。昨日までバリバリ夜勤で体内時計は夜型なのだ、働いていた一番頭が冴えている時間帯に熟睡するというのは無理があった。
果たして俺は寝たのか、それとも眠れなかったのか、不安を抱きしめながら今年初のトレイルレース当日を迎える。

スタートは突然やってくる

午前5時のスタート前に指ぬきのグローブをなくした。一体どこにやってしまったのだろう。着替えや準備を体育館でしていた時はあったのだが……。今回のコースは滑ったり転んだりすることが避けられないと思っていたので、できるだけグローブを着けていたかったのだが……。

これで手のひら全体がドロドロになることが確定した。

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スタートの前にカウントダウンなどがあるのかと思いきや、突然「パン」という乾いた音がなり、レースが始まった。これは新しいぞ。何か事件が起きたのかと勘違いしかねない。でもこれが上州STYLE。「スタート◯分前」みたいなアナウンスはあったのかな。去年のどえらく壮大すぎたCCCのスタートとはえらい違いだ。周りは騒然「えっ?」ってな感じで。私は腕時計のGPSの設定をしている最中だったので、動揺を隠せないスタートとなった。

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2km程度ロードを走るとトレイルに入る。トレイルのフワフワした柔らかな着地に違和感を覚える。本当に走れるのかな……きついかもしれない。そう思っていたが上の写真のように前半は前後の列が続くのでペースを上げて走るという場面はあまりない。一つ急な登りがあったが、ところどころにロードを交えつつA1(13km地点)に到着。

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最初のエイド、レースは始まったばかりだが充実したエイド

「A1は……過去2年のデータから 所要時間2時間以上の選手はかなり厳しいでしょう、最遅タイム2時間15分で通過しフィニッシュしています」

本大会のサイト内「120kmコースの要点」にこうあったので少しだけタイムを意識していた。時計を見ると2時間ちょっと手前。今年初のレースなので2時間15分でもオッケーと思っていたので「思ってたよりも早いな」という印象。まだ疲れてはいない。手短に水分補給とオレンジを数きれいただき、いよいよ剣ヶ峰へと至るトレイルへ。

ここからがトレイルランの始まりともいえる。引き続き前後が列となっており、所々では仲間同士が話している声が聞こえるほどのどかな雰囲気。だが、ここから600m程度をグイグイと登っていく山岳パートとなる。次第に前後がばらつき始め、視界が開けるとトレイルがぬかるみ、ガスに包まれた眺望に。

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これが……スカイビュー!?

「こりゃ大会名にあるスカイビューって感じじゃないなぁ」とぼやきながら進む。私自身は淡々と進んでいたつもりだが、後ろから抜かされる場面が増える。レース全体を考えれば「まだ始まってもいない」ような序盤だ。自分のペースに身を任せる。

そうこうしているうちに最初のピーク剣ヶ峰に到着する。

面白いほど滑りまくった剣ヶ峰からの下り

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ここからは一気に下っていく区間となる。トレイルランで下りといえばスピードアップの区間、走れる区間といったところだが、ここの下りはみんな慎重に下っていくので渋滞する。

「一体どんな下りなんだろう」と思っていたが、そのポイントに到着するとまぁ滑るすべる。むき出しの木の根と泥と何かが混ざり合ってヌルヌルすってんころり、尻もちツル〜ンの連続なのだ。まぁ要するにボデーバランスが悪いってそれだけなのだが、ここまで連続して滑ったことは初めてだったのでおかしくて笑えてきた。

そんな感じでしばらく滑っていると、ようやく走れる区間になる。
「よし!いくぞ!」と気持ちを切り替えてみたものの、力が入らない。「滑る→起き上がる→滑る」の連続がジワジワと体力を削っていたようだ。なんか疲れていて、しんどい。あらやだ、どうしたものかしら。

気持ちよく駆け抜ける選手を横目に林道に至るまでトボトボ歩く羽目に。
「まだ序盤、まだ序盤」と自分を落ち着かせるため念仏を唱えながら次のエイド(A2)を目指した。

<つづく>

TOKYO八峰マウンテントレイル 2015

2015年ラストレースは、初開催の都内のレースへ

8月のCCC以来となるレース。そして15年のラストレースは初開催の「TOKYO八峰マウンテントレイル」だ。都内の開催で34km程度のコース、朝は早いが日帰りで楽しむことができる。

この大会は「東京都が策定した「東京都自然公園利用ルール(平成27年3月)」に基づく象徴的な大会として実施し、この大会を通じてルールの啓発を行います」ということがうたわれていることから、ルールを守って楽しく走る大会だと解釈した、最近走っていない自分にはぴったりだ。

スタートは「上級」「中級」「初級」の3ブロックの中から自分に見合ったブロックを選ぶもの。「初級かな」と思ったが、少し強気に「中級」の後方についてスタートした。ちなみにスタートはバスの到着が遅れていたようで、15分遅れとなった。

スタート〜和田峠 ハセツネコースの美味しいところを楽しむ

トレイルランニングでは珍しい白バイの誘導の下レースはスタート。最初の4kmはロードをひたすら登っていく。途中のT字路で気がついた、これハセツネ30Kの登り坂じゃないかと。僕が出た去年の30Kはこの坂を下っていたが、今年は登ったと聞く。これがやはりきつい。ここを走りきらないと大変だなんて話を聞いたが早速歩く。歩いて、走る。これを繰り返し、ようやく渋滞に合流する。

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トンネルの脇からトレイルへ

渋滞の間に顔の汗をぬぐって上着を脱ぐ。水分を補給する。

ここからはハセツネのコースに合流、細かいギザギザのようなアップダウンを繰り返す峰見通りを抜けて市道山分岐を過ぎたら醍醐丸まで一気に進む。この細かい起伏が大嫌いで、ハセツネのコースは醍醐丸でいつも挫折するのだが、途中からコースへ合流するのか思ったよりもサクッと市道山の分岐についてしまう。そしてその頃には上の写真が嘘のように渋滞がなくなり、前も後ろも間が開いて誰にも邪魔されず気持ち良く走ることができた。

初めてトレイルランの大会に出た人はスタートのロードから醍醐丸までのここが一番きつかったんじゃないだろうか。最初にガツンをかましておく、そんなコースだ。

いつもはフラフラで「もう勘弁してくれ〜」となる醍醐丸にはあっさり到着してしまって拍子抜け。時計を見るとまだ11km程度。なるほど楽なはずだ。一番恐れいたゾーンを抜けたことで気を良くして最初の関門和田峠に到着。トイレの列に並び、さっと給水して出発。

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醍醐丸手前の上り。まさか醍醐丸がすぐにあるとはおもわずびっくり。

ここからは……走ろうと思えば走れるが、ハイカーさんにも気を配らなければならないゾーンだ。

和田峠〜小仏城山 マナーを守って快走

陣場山は巻いて、高尾山に向かって走るメジャールートに合流する。ここからは本当に走りやすく、すいすいと進んでいく。序盤の苦しさが嘘のようである。

ただ注意すべきはハイカーさんたちへのケアだ。高尾山方向に進むほど増えてくるので、立ち止まったり減速したりしてケアをする。前に走っていた人が手を上げてハイカーさんがいるので立ち止まるサインを出していたので、私も真似ることにした。

ハイカーさんのグループからは「頑張って」とたくさん声をかけていただいた。ロード区間でなくトレイルで応援を受けるのは嬉しい。

ピークを踏まず巻いていくので常に程よいスピードをキープしたまま小仏城山に到着。

ここはお水の他にお湯もあり、レモネードの粉末を溶かしてもらった。ジェルを一つ食べてさっと出発。

小仏城山〜ゴール 未知のコースは走らされるノコギリゾーン

ここからは初めて走るコースで、楽しみにしていた箇所。トレーニングでも使えるんじゃないかなと思っていたのだ。一度城山の頂上に戻るような形をとってから、一気に大垂水峠へ下っていく。一度歩道橋を渡ってトレイルへ。そこからが終盤のキモなのかな。

細かい登りと下りを繰り返すんだけど、意外と合間に走れるところがあって気が休まらない。ああこれは走れるんじゃなくて「走らされているんだな」ということに気がつく。

途中にある最終関門では饅頭(?)を一ついただき、出発。少し雨が気になってきたのでジャケットを羽織る(雨はまたすぐ弱くなったんだけど)。

下り基調のコースであることに変わりはないんだけど、アップダウンのせいでそれほど下っているという実感はない。休めないから足は動き続けていて、困ったものだなぁと思いながら進む。

「間も無く閉会式を始めます」
という声が下の方から聞こえる。ゴールが近い。ラスト1kmあたりから急に抜かされることが多くなり、気がつくと前も後ろも人が見えない。

線路脇の長いストレートに下りて、ゴールまで単独走となった。GPSは35.5kmでタイムは5時間30分台。

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ゴールは京王高尾山口駅側の公園で、最近できた駅の温泉のクーポンもついていた。ゴール後早速温泉を満喫。

距離的に初めてトレイルランニングの大会に出たという人も多かったのかもしれない。今回のコースは大会以外でも気軽に利用出来るコースだし、今度は単独で走ってみようかななんて思った。久しぶりのレースでよかったなと思ったのは、「怠けない」ということ。一人だとどうしても歩いてしまうような場所も、レースだと走れる。周りの人たちに引っ張られる形で。意思の弱い自分にとっては結果としてこれがいいトレーニングになるんだなと思った次第。

15年は9つのレースに出た。マラソンが2つ、ウルトラが3つ、トレイルが4つ。

来年は数を絞り込むが、こうして楽しめるといいなぁと願っている。

晩秋の丹沢へ

11月も終わろうという頃、久しぶりに山へ足を運ぶことができた。

場所は丹沢。渋沢駅から大倉へ向かうバスは朝からいっぱいだ。

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大倉のバス停からまずは鍋割山へ向かう。鍋割山から大倉へ下ったことはあったが、登るのは初めて。林道区間は気持ち良くジョグしていたが、本格的な登りが始まってからはあまりにキツく、早速心が折れてしまった

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ほとんど眠らずに見る朝日は異様に眩しい。キラキラ光っているのは海だ。

サングラスを持ってくるべきだったな……と眩しい光にクラクラしていると、やっとの事で頂上へ到着。鍋割山といえば「鍋焼きうどん」が有名だけど、この日はスルー。残念な時間帯の訪問となってしまった。

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来年またうどんを食べに来よう!

鍋割山から塔ノ岳までは細かなアップダウンを繰り返しながら進んで行く。ハイカーも少なく、下り基調では心おきなく走ることができた、と言ってもジョグ程度のまったりとしたペースなのだが。

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塔ノ岳から向かうは丹沢山。太陽が昇ってっくると霜が溶けてトレイルがぬかるんでくる。この日はHOKAのSpeedgoatを履いていたので、スリップすることはなかったが、霜の溶けた冬のトレイルが苦手という人もなかにはいるかもしれない。

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ここで一旦休憩、丹沢山の山小屋でカルピスウォーターを飲む。うまい。トレランのときはコーラが鉄板だけど、カルピスもいいじゃないか。カルピスをエイドで提供してくれるレースってあるのかな。

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これまでいくつか写真をアップしてきたけど、この日は本当に空が綺麗で、海も富士山も澄んだ空気の中で際立って見えるものだから本当に気持ちが良かった。

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丹沢山から塔ノ岳に戻るとお昼手前くらいで富士山に向かって腰掛けて食事をしている人がいっぱい。気持ちいいだろうなぁ。私もコンビニで菓子パンをお昼用に用意していたのだが、朝から空腹で行きの電車で食べてしまうという失態をしてしまったのだ。仕方なく富士山を見ながらジェルをいただく……高揚感はない。こういうところでお湯を沸かしてカップラーメンを食べている人たちが実に羨ましい。地上で食べればただのカップ麺もここではご馳走になる。

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夜勤明けで寝ずに丹沢に来たのでさすがにお昼になると眠くなってきた。意識が覚醒しているうちに下山を決意。帰りは大倉尾根を下っていく。まだ少しだけ、紅葉が残っていた。

25kmくらいの短いトレランだったが、久しぶりの山はとても気持ちが良かった。年を重ねるごとに自然が好きになっているのを実感する。これが老いなのだろうか。

次、丹沢に行くのはいつだろうか、来年だろうな。

そうだ。今日から12月。あっという間に年末である。。

ハセツネ(の応援)に行ってきた

日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ、いわゆる「ハセツネ」と呼ばれている大会がある。国内トレイルレースの先駆け的な大会だ。

昨年は私初参加し、見事に玉砕(こちらをどうぞ)。
私にとっては「あの遅刻さえなければ……」など悔いばかりが残り、黒歴史的な位置づけで絶対にリベンジしなければいけない大会と心に決めている。その「ハセツネ」だが、今年は訳あって不参加となった。

せっかくの休日だが、ゆっくりすればいいものをハセツネが近づにつれて胸がドキドキしてきてしまい、当日気がついたら15km地点の醍醐丸にいた。

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醍醐丸まで急ぐ。和田峠からいけば手っ取り早かったんじゃないかと気づいたのは市道山の分岐手前だった。

トップ選手が到着するまでに醍醐丸につかなくては……と思っていたのだが、あろうことかレースのスタート前に到着してしまった。このまま浅間峠まで行っても間に合ったような気がしたが、ここから先に進む力は残っていなかった(おいおい)

まずは汗だくの服を着替える。シャツもキャプリーン4も着る。化繊のインサレーションも重ね着し、最後にウィンドシェルを羽織る。

寒い。

おかしい、着替えが全然効かない。

寒くて震えるくらいに寒い。

体を動かしている時は汗が止まらず日程の後ろ倒しの影響を感じなかったが、動きを止めた途端これだ。もう着替えは持っていない。仕方なく小刻みに震えながらおにぎりを食べる。ダウンを持ってくるべきだったと後悔。

トップ選手がやってくるのは、スタートから1時間半を過ぎた14時半。果たして私はそこまで持ちこたえることができるのか。携帯の電波もロクに繋がらない。本も持ってきていない。そして何よりも寒い。こうしてもうひとつの耐久レースが始まった。

一人ではとてもじゃないが耐えれる状況ではなかった。正直トレーニングをしたということですぐに下山しようと思った。そんな中、幸いなことにスタッフの方達や私のように応援に来ていた方たちと雑談をしたり、無線から入ってくる途中経過の様子を聞いて寒さを意識から切り離すことで持ちこたえることができた。本当にありがたかった。

私が来たときはほぼゼロだった応援の人も14時を過ぎた頃にはだいぶ集まり、賑やかになってきた。寒いもん、このくらいの到着が正解だったな。

市道山分岐にいたスタッフから選手通過の無線が届いたところから緊張感が走る。

14時半、予定の時刻。まだ来ない。坂の下を覗きこむ。選手は見えない。

それからどれくらい待っただろうか。
「来たぞー!」という声が遠くから聞こえた。覗きこむと確かに人が近づいているのが見える。

そしていよいよはっきりと選手たちを捉えることができた。

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ん??????

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多いぞ。まだ15kmトップ選手たちは様子見といったところなのか。3人くらいのグループでやってくるのものだと思っていたが、5人以上の集団。これでは上位選手のゼッケンを記録し、選手と特定するのは大変だ。

醍醐丸に到着すると選手たちが一斉に駆け抜けていく。そして山の中とは思えない賑やかな歓声に包まれる。

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先頭集団は笑顔や手を振って答えるくらい余裕たっぷりだった。

私も声を出し、手を叩き、家から持ってきた鐘を鳴らす。するとさっきまでガクガク震えてきた体が温まってきた。

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トップの下りは速い。ボトムズの私はレースで見る機会がないので貴重だった。

トップ集団通過後も次々と絶えることなく選手たちがやってくる。みんな顔が生き生きしている。さっきまでの体調不良が嘘のように元気になっていく。ハイタッチを通じて選手たちから元気をもらったようだ。

男子のトップが通過してしばらく経って女子トップが到着。

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女子は集団ではなくて、すでに差が開いているようだった。

「男子のトップ集団、女子のトップ3を見たらそろそろ帰ってもいいかな」と思っていた。寒いし、日没時間も気がかりだった。暗く前に安全に帰りたかった。

だが次々とやってくる選手を見ると「もう少し見てみたい」という気持ちが出てきた。だってみんないい顔してるんだよ。多分ここまで細かいアップダウンが多いし、結構きつい区間だと思うが、本当にいい顔してるんだ。応援したくなる顔なんだよ。多分走ってる選手はそんな自分の顔つきとかわからないと思うけど、自分が思っている以上に生き生きしているよ。

どれくらいの選手が通過しただろうか。気がつけば2時間半が経過。16時半。さすがにこれ以上いると暗くなりそうだと判断し残念だったが応援を終えることにした。

和田峠のスタッフの方々には本当にお世話になりました。ボランティアの活動はここの作業を終えた後も最後の撤収まで続くという。選手以上に長丁場の仕事だ。頭が下がります。

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醍醐丸を離れると少しずつ応援の声援が遠くなり、完全な静寂に包まれる。
こっちが現実の世界だ。

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和田峠へ抜けるルートではなく和田バス停への道を初めて通ってみた。緩やかで走りやすいシングルトラックが続いて気持ちよかった。

今度は選手としてハセツネに。去年のリベンジしなきゃって思いがフツフツと湧き上がってきた10月の終わりだった。

トレイルランナー・山本健一 書籍出版&レース入賞記念トークライブ・サイン会

湘南T-SITEで開催された山本健一さんの「書籍出版&レース入賞記念トークライブ・サイン会」へ行ってきた。先日出版された書籍「トレイルランナー ヤマケンは笑う」はすでに読んでいたが、今回はちょうどUTMBと同時期に同じフランスで開催された「レシャップベル」(144km、累積標高1万900m)で2位になった話が中心のようだったので興味津々だった。

(書籍は絶賛発売中なので読んでみてください、爽快感全開の1冊です)

トークは今回レシャップベルに同行したフォトグラファーの廣田勇介さんとの対談形式で振り返る内容。スライドには廣田さんが撮影した写真が映し出されて、それに沿って振り返る。参加者はきになるところで勝手に挙手して質問するスタイル。

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めっちゃ綺麗なブルー、こんなところを走るなんて。

参加者が関心を持っていた一つがヤマケンさんの「食」について。上の著書に書いてあるのだが、ヤマケンさんは酒、カフェインは一切取らなくなった。できれば白砂糖も取りたくないそうなのだが、これは色々な料理に含まれているので完璧には無理だそうだ。元々お酒は大好きだそうだが、最初の2つは絶っているという。アルコールやカフェインはそれ自体が感情を支配する作用がある。ヤマケンさんが掲げて取り組んでいる「野生の走り」を「自分の思いままにコントロールする」という取り組みには、「何かに支配される」ということは大きな障害になる……確かそんなことを話していた。ただこれが本当に正解なのかはわからない、手探りで「実験している」との事だった。

100km走って野生モードに

この「野生の走り」はこのレシャップベルの話でも再び出てくる。最初は「ノルウェーの大会」だと聞いて参加することを決めたそうだが、実はフランスだったというレシャップベル。100マイルならまだしも、144kmで累積標高が1万メートルを超えるというコースは最もキツく、そしてこれまで走った中で一番美しい風景だったと話していた。

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いつもはエイドで待ってくれているサポートクルー(チームヤマケン)と話をするのが楽しみでエイドに入るというが、今回はあまりの辛さに上の写真のようにエイドで倒れこんでしまったという。本のタイトルにある、彼のスタイルでもある「ヤマケンは笑う」とはいかなかったわけだ。非常に厳しい状況でレース中に何度も眠ったという。

そして100kmを過ぎてようやく「野生の走り」がやってきたという。野生の走りは、レース中に一度しかやってこない。またコースをロストしたり、ちょっとしたきっかけで終わってしまうという。確変とでもいうか、アスリートのいう「ゾーンに入る」というニュアンスに近いのか、無敵状態になるのだろう。対談相手の廣田さん曰く、野生モードに入ってからはエイドに戻ってくると声や肌ツヤが違ったとか。このスーパーな状態をできるだけ長く、自分の出したい時に発揮するために取り組んでいるのが「実験」だという。

いやぁ、この話が面白いのだ。「もうダメだ」というところから、驚異的な復活を遂げてゴールまで突っ走っていく。まるでスーパーヒーローのようじゃないか。ウルトラトレイルのアスリートの状態は科学的にどれほど研究されているのかわからないが、まだまだ人間の未知の領域、もしくは遠い昔に人間が忘れてしまった何かがそこにはあるような気がした。

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来年発売予定のヤマケンモデルのザック。ザイゴスをベースにストックの収納など山本さんの要望・意見が反映されて改良されているっぽい

海外の大会はいつも誰かが勧めてくれた大会を「それよさそうだね」と決めているそう。自分からは選ばないそうだ。来年の予定はまだ決まっていないとのこと。「また誰かが勧めてくれたやつに出ます」みたいなことを話してくれた。

あまりに話が膨らんで、レシャップベルの話はかなりハイペースで話して終わってしまったが、あっという間の時間で自分含めて参加者の人たちは充実した時間を過ごせたのではないだろうか。山本さんは世界のトップレベルで上位に入るトレイルランナーだが、普段は山梨県の高校教師だ。なかなか関東に住む私が話を聞く機会もなく、こうして書籍の出版を通じて機会を得ることができたのは大変嬉しかった。

「Harder and more Beautiful」 L’ECHAPPEEBELLE:華麗なる脱出 from RIGHTUP Inc. on Vimeo.

今回の山本さんのレシャップベルの映像が上のリンク先にあります。美しく、厳しいレース、支える仲間たちの30分強のドラマ。これ無料で公開していいのでしょうか。必見です。

THE NORTH FACE Athlete Talk Session UTMF Special w/Seb&Robb

何を今更といった話になるが、9月には「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」があった。
国内最大のトレイルランニングレース。国内では貴重な100マイルレースの一つだ。

私は抽選の結果、落選という大変残念な状況で、UTMFとは無縁な9月を過ごすつもりでいた(当選したとしてもCCCの燃え尽きが大きく心と体の準備が全くできていなかったはず。それに悪天候で半分も走れなかっただろう)。ところがUTMF開催に伴う関連イベントに参加することでUTMFウィークを楽しむことができた。

それがノースフェイス原宿店で開催された「THE NORTH FACE Athlete Talk Session UTMF Special w/Seb&Robb」だ。ノースフェイス契約のアーティスト、セバスチャン・セニョー選手(フランス)とロブ・クラー選手(米国)がUTMFに伴って来日、それを記念してのトークセッションとなった。

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セブ(左)とロブ。時間はあっという間に過ぎていった。

セブは今回はSTYに参加(見事優勝している)、そしてロブは残念ながら怪我でDNF、出場する奥さんのサポートに回るという。

セブからは怪我からのリカバリーに関する話、そしてロブからは2連覇を果たしたウエスタン・ステイツの話が中心にトークが繰り広げられた。トップ選手の話だがテクニカルな話はそこそこでほとんどはマインドに関わる話で、聞いているだけで沸々とモチベーションが上がってくる気がした。(大事なのは行動することなのだが、体はまだ充電を欲している)

実は最も驚いたのは質疑応答で、参加者からの質問のほとんどが英語なのだ。参加者はできる奴ばかりではないか。
「英語がわからない人もいるんだよ、まじ勘弁してくれよ」「英語の話せない人は質問しちゃいけないムード漂ってない?」などと疎外感を味わう一時だった。シャモニーならまだしも原宿でも言語の壁に阻まれるとは。

こうしたトップ選手たちがわざわざ日本までやってきて、こうしたトークイベントに参加することができるのもUTMFがあるからだ。参加しない私も恩恵を授かることができた。セブとロブと写真まで撮ってしまった。二人ともナイスガイじゃないか。ありがとうUTMF。そして私も出たいぞUTMF。

UTMBのような大会を目指す必要はないと思うが、国外への発信力を持つ100マイルレースは日本にあるべきだと思うし、UTMFはそうでなければならない。今後もこうしたイベントの開催を続けていってください。シルバーウィークは仕事オンリーだったが、おかげで素敵なリフレッシュタイムとなった。

【参考書籍】

毎年様々な課題が出るUTMFだが、それを一つ一つ乗り越えていい大会になっていってほしいとこれを読むと素直に思える。そして「俺もUTMFに出てみたい!」と思うようになるもんだから厄介だ。そこんとこ要注意だぞ。

CCC / UTMB 2015 その7

前回からのつづき

CCCのゴールの翌日、UTMBウィークの最終日を迎え多くのUTMBランナーがシャモニーに到着する。早いランナーは前日のうちにゴールしているが、多くの一般ランナーがゴールするのはこの最終日だ。

UTMBフィニッシャーを見て感じた、人生の縮図

朝、ホテルに到着するとUTMBに参加された方もけっこういるではないか。
聞いてみると昨日のうちにDNFになってしまったとのこと。どの方も77km地点のクールマイユールまでで関門にひっかかっていた。168km走るつもりでいて半分で終わってしまう、仕方ないといえばそれまでかもしれないが彼らに悔しさが残らないことはないだろう。

街に出るとひっきりなしにランナーが戻ってくる。
一度沿道に並ぶと応援がやめられない。
大柄の人、小柄の人、やせてる人、太っている人、若い人、年配の人、様々な人たちがゲートをくぐっていく。一気に駆け抜けていく人、国旗を掲げている人、家族と抱き合い共にゴールする人……彼ら一人ひとりがまぶしい。気がつくと飽きもせず、ず〜っとフィニッシュに向かう自分がいる。ランナーの応援なんてサッカーのような応援とは違って退屈ではと思われる方もいるかもしれないが、これがまったく飽きないのだ。

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UTMBのフィニッシャーのほとんどの人たちは私のような30代よりも年上。40代半ばから50代くらいがボリュームゾーンに感じられた。ウルトラトレイルは僕が思っていたよりもずっと「おっさん」のスポーツのようだ。人生が続く限り、100マイルを走るチャンスはどこかでやってくるのかもしれない。
走力だけでなんとかなるものではないだろう。走力、山岳経験、気力などすべてのバランスのうえにUTMBの完走は成り立つのだ。生き様の縮図なのかもしれない。こんなことを考えたのは初めてだった。それだけUTMBのフィニッシュを見る、というなんでもない行為が私にとって大きいものだったのだ。
閉会式、すぐそばのテントから立ち上がって前かがみになってよろよろになったおじいちゃんがステージに上がった。彼が最高齢のフィニッシャー、なんと73歳。なんと素晴らしい。最下位ではなく、ゴールしてから表彰式までテントで待っていたようだった。壇上にあがると、会場の盛り上がりはピークに達した。ブラボーだ。こんなブラボーなことがあるだろうか。私が半分でくたばったあのコースの倍を、あのおじいさんがゴールしている。感動がやまない。

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ステージ中央にいるのが73歳のフィニッシャー

これまでトレイルランの花形といえる100マイルレースにいち早く参加したいと思っていたが、UTMBのフィニッシュを見ていて「そこまで焦らなくてもいいか」という気持ちも芽生えてきた。これは生涯スポーツだよ。

結局最終日はツアー参加者でUTMBを走っている人たちの経過をlivetrailで確認し、ゴール手前で声援を送り続けた。ゴールした人たちはボロボロだけど清々しく、夜の打ち上げには当然のように参加するタフっぷりを見せつけていた。すごいパワーだ。100マイラーは違うと違う意味でも実感したのだった。

あえてCCCという選択も

今年のUTMBではCCCを走った。ただ本記事を読んでいる人はCCCではなく「いつかはUTMBを走ってみたい」と思っている方もいらっしゃるだろう。そこで本稿では最後にUTMBへの道を冷静にまとめておこうと思う。UTMBを走るうえで必要な要件は以下の5つだ。

  1. エントリーに必要なポイント(ポイントが取れるだけの実力)
  2. 家族の理解
  3. 休暇の取得(職場の理解)
  4. お金

この5つの要素が複雑に絡み合い、すべてがビシっと揃ったときにはじめてUTMBへの道は拓かれる。
ポイントについて。2015年は14年から1pt増えて3レースで8ptとなったが、16年からはさらに1ptプラスになる。2年間で3レース走って9ポイントが必要になる。100km程度のレースを3本、最低でも走らなくてはならない。
家族の理解について、独身の方は障壁が低いかもしれないが、家庭を持っている方には大きな問題になるだろう。自分の趣味で海外旅行へ行く。そこで④で取り上げるお金をまとめて使う。そこでいっそのこと「夏の家族旅行にしてしまう」というのも手だろう(お金は倍以上かかるが)。レース中は家族にサポートしてもらうのは大きな力になる。自分の趣味への理解があるかどうかで差がでてくる。
③次のステージは職場だ。8月末〜9月頭にかけてまとまった休暇を取得できるか。弾丸日程を組むこともできるだろうが、できれば7日は欲しい。「夏休み」として確保できれば一番だがすべての職場でそううまくいくわけではない。その時期に重要な社業が控えている人だっているだろう。8月になって突然重要な案件が舞い込むことだってあるだろう。
お金の問題もある。かかるお金は国内の比ではない。国内のレースでも宿泊にエントリー費用、装備品などを揃えるとお金がかかる。ただこうした国内レースを控えることも難しい。なぜなら①のポイントに直結するからだ。
⑤上であげた①〜④の要素をすべてクリアしたとしてもUTMBを走ることはできない。抽選で当選しなくてはならない。UTMBの倍率は他のレースに比べると高く、高倍率ゆえに①の必要ポイントが年々上乗せされているのだ。こればかりは自分ではどうしようもない。抽選に落ちた場合、翌年には当選する確率が上がるが果たして翌年に①〜④の条件をクリアーしていることができるだろうか。1年条件が揃ったからといって安心はできない。2年はエントリーすることを見越してポイントは確保しなくてはならない。

ここまで書いて自分で気が滅入ってしまった。こうして冷静に書き出してみるとUTMBへのハードルは高いな。ポイントに限って考えても、ハードルは年々上がっている。果たして今からUTMBを目指して9ポイントをためたとき、必要なポイントは9ptのままとは限らない。

ここまで書くと走るのは定年後だなと思う人もいるかもしれない。大丈夫だ。定年後や定年近くなってもUTMBを走っている人は珍しくはない。上にあるように73歳だってゴールできる。

最後の関門「抽選」をクリアーしたとする。きっとその頃、あなたは「参加」だけで満足しないはずだ。①〜⑤の厳しい条件をクリアした以上、モンブランの周りをぐるっと1周してシャモニーに帰ってきたいと思うはずだ。行くからには「完走したい」というのが自然だろう。中には家族や職場の応援に応えたい!と意気込む人だったいるだろう。15年のUTMBの完走率は64%。天候次第ではさらに完走率は低くなる。ポイントを取得できる力があっても6割程度しか完走できない。厳しいレースなのだ。天気でコースが変更になる年だってある。モンブランを1周するはずが、悪天候でレースが中止になったり、鏑木さん曰く「里山レース」に変更になって100km程度で終わってしまう年だってある。これもまたどうしようもない、致し方ないことだ。どうせ行くなら「正規ルートで完走」と思う人が多いようだが、これもまた一筋縄ではいかない現実がある。あぁ、本当に複雑なパズルみたいだ。
UTMBに参加していた日本人はUTMF完走者が多かったが、UTMFを完走できたからといってUTMBを完走できるものでもないらしい。私はどちらも走ったことがないのでその違いはわからないが、参加した人は「UTMFとは違う」という。これは興味深い内容だった。

ここまで書いてみて「自分がUTMBを走れるのがいつになるかわからない……」という不安や焦りのある方はいっそのことCCCやTDSを走ってみるのも手ではないか。CCCもTDSも2レースで3ptあればエントリーできる。しかもTDSは最初のエントリーでは定員割れしていて、UTMB落選者が追加エントリーできるほどだ。UTMBとは雲泥の差である。CCCは抽選だが、たとえ落選しても必要なポイントも少ないから落選したとしてもUTMBほどの落胆はないはずだ。CCC以外で3pt取れる大会にエントリーしようと切り替えられるのではないだろうか。

TDSは独立した難易度の高いコースを進むが、CCCはUTMBの後半と同一コースを走る。UTMB気分をわりと手軽に味わうことは十分できるのが魅力だ。15年に完走率は69%。私のように実力もなくノリと勢いで来た人でなければ、しっかり走って完走できる距離と累積標高差だと思う。

また、これは憶測だが、CCCを完走しておけばいつかUTMBを走るときが来たときその経験がきっと生きるにちがいない。後半は「試走済み」状態なのだから。問題はクールマイユールまでの関門をクリアできるかなのだが……。

あれこれ述べてみたが、要するにUTMBは年々狭き門になりつつある。ただ、CCCならハードルは低いから良いんじゃないかということ。しかもCCCであればゴールしたあとにUTMBトップ選手のゴールを見ることができるし、UTMBのゴールをビールを飲みながら応援することもできる。これも一つの楽しみ方だ。

私はUTMBはもう少し人間として大きくならないと無理だなと痛感した。だからシャモニーに再び行くことができるのがいつになるのか検討もつかない。正直CCCでもすごく楽しかったし、自分のレベルではきつかった。お腹いっぱいになってしまったところもある。
その一方で、あのUTMB期間中にシャモニーで感じた「お祭り騒ぎ」が恋しくなってもいる。あの街全体を包み込む一種の麻薬のような(やったことないからわからないけど)多幸感をもう一度味わいたいって思いは心の底に確かにある。CCCのメリットは上で述べた「手軽さ」にあるけど、一番のデメリットはUTMBを知ってしまい「また来たい!」「次はUTMBだ!」って思っちゃうところだ。アタマで漠然と「UTMB出てみたい〜」よりも具体的なイメージが体験に基づいて形作られてしまう。これは相当やっかいだ。

CCCは手軽でいいよってことを書いてまとめようと思ったけど、自信がなくなってしまった。ひょっとしたら一気にUTMBに挑んだほうが正解かもしれない。いずれにせよ、UTMBでもCCCでもTDSでもいい。興味があったり、目標として位置付けている人は現地へ足を運んだほうがいいと思います。それだけは確か。来年のエントリーは12月から。まずはウェブサイトを見て、自分の手持ちのポイントを確認してみよう。それがささやかだけど、大きな一歩になると思います。

CCC / UTMB 2015 その6

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は5回目。
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レース後半に待ち受ける3つのピーク

シャンペ湖を抜けるといよいよコースのクライマックス、3連続ピークに差し掛かる。ラスボス3兄弟といったところか。CCCは56km走ってから「キタタン」に入るイメージだけど、UTMBの場合は120km走ってからのキタタンだ。かなり恐ろしい。

こういうときはあまり先のことは考えない。次の関門までのことだけを考えて進む。関門をクリアできたらその先について思いを巡らせればいいのだ。

シャンペ湖を出発したときにはほとんど貯金がなくなってしまった。次の関門トリアン(Trient,72km)までは17kmエイドまでの区間はコース最長。すぐに登りに取りかかれば少しは楽なのに、ご丁寧に一度川沿いに下りきってから山登りがはじまる。上を見上げると木々の隙間からヘッドライトの光が溢れでている。
「あんな先まで登るのか……」この日何度心の中でつぶやいたことだろう。

レースも後半に差し掛かると、完全に前後のグループは固定されており、補給の差などで若干前後するが前にいた人、集団と一緒に進む展開になる。初めの頃は英語にも気を配っていたが、段々どうでもよくなってきて日本語で「すんませ〜ん」とか言いながら進むことも増えてきた。

森を抜け、森林がなくなりピークが近づいてきた。草むらにしゃがみ込んでジェルを飲んでいると視界に星空が飛び込んでくる。その美しさに息を飲む。関門時間まで急がねばならない私には「あれがデネブ、アルタイル、ベガ……」などと夏の大三角を探す余裕はない。少し時間だったがレースのことを忘れてしまう素敵な時間だった。

遠くからはカウベルの「カラ〜ン、コロ〜ん」という脱力感を含んだ音が聞こえてくるが、残念ながらチェックポイントではなくただの牛がいるだけだ。眠っているのだろうか、コース脇で座り込んでいる牛もいれば、立っているのもいる。

長い登りのきつい区間だったが、ナイトハイクを満喫したこともあって、思っていたよりもずいぶんと気楽にトリアンに到着した。トレイルを下りながら見た、トリアンの街は、中心に教会があってそれを囲むように住居が並ぶ。山を下るとそんな街にたどり着く、ドラクエみたいな世界だ。

「これがラストトライになりそうだ」という覚悟で臨んだトリアンへの道。結果としては関門50分前に到着した。ラスボスはあと2つ。この調子ならいけるかもしれないという確かな手ごたえをつかんだ。

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大音量で音楽が流れる、賑やかなエイドだ。

異変

復活の手ごたえを大切にしたい、行けるときこそ攻めるべきだ。できるだけ短時間でエイドから出よう。一度に1つしか食べないジェルを2つ流し込み、オレンジを食べて席から立ち上がった。

出口に向かって歩き始めたところで、補給したジェルとオレンジが逆流した
慌てて立ち止まり、吐き出すまいと口に両手を当てる。なんとか飲みこみ吐き出すことは防いだものの、再び訪れた予期せぬ事態に動揺は隠せない。気分が急に悪くなり、再び椅子に座り込む。ジェル2個食いが悪かったか……。落ち着け落ち着け、絶対に回復するからと自らに言い聞かせる。

短時間での出発作戦はあえなく失敗し、トリアンには30分も滞在してしまった。フラフラ登っていたのだろう、「大丈夫か」と選手に声をかけられながら次のエイド、ヴァロシーヌ(Vallorcine,83km)を目指す。

この区間は11km。トリアンまでの17kmに比べたら気持ちは楽で、GPSの標高表示を眺めながらゆっくり登っていった。少しすると胃の具合もだいぶ落ち着いたようでいつもの調子を取り戻していた。

山の頂上になると木々が無くなり、限りなく満月に近い月のあかりが遠くの稜線までも浮かび上がらせる。頂上付近のフラット気味な箇所も走ることはなく、淡々と歩いて下りに差し掛かった。

外国人は登りはめちゃくちゃ早い。その一方、下り、特に夜間の下りは不慣れな人が多いのか度々渋滞とは言わないが狭いトレイルが詰まってしまう。トリアンまでの下りでもたついていた人たちをパスしたのだが、体調不良で遅れてしまい、私の前に再び彼らがトレイルを詰まらせている。「すみませ〜ん」とつぶやきながらパスする。

83kmのヴァロシーヌには関門時間の45分前に到着。悪くない。ラスボス3兄弟もいよいよ次がラスト。ラスボスのなかのラスボスに挑む。最後のピーク、ベンツ峠(La Tete aux Vents,標高2130m)まで900m程度の登る。それを越えればあとはシャモニーまで下っていくだけだ。吐き気に気を配りながらゆっくりジェルを飲み込み、オレンジを10切れ口に含む。関門時間30分前、ゴールに向かって歩き始めた。

ラスボスに打ちのめされる

線路沿いの緩やかな登りを進んでいくと「まさかあれを登るんじゃないだろうな?」というゴツゴツした岩場だらけの壁が見えてくる。
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考えたくもなかったが、やはりこれを登るらしい。朝になった途端、見るのは壁。相当堪える。あれこれ見えるのも困ったものだな。

ラスボスを迎えるにあたって、不安材料があった。GPS付きの時計のバッテリーが切れたのだ。スントのAmbit2の標高表示を目安に「100m登った!」「あと半分!」と自分を励ましながらやりくりしていたが、それができなくなった。自分がどのあたりにいるのかわからい不安のせいか、足はどんどん重くなる。数歩進んでは立ち止まる。その度に後続の人に道を譲る。日本人の方もけっこういた。しばらくすると、後ろの人はまばらに見えるだけになってしまった。

このラスボスの恐ろしいところは「登りきった!」と思っても、チェックポイントが一向に現れない。ベンツ峠にはチェックポイントがあるはずなのだが、それがない。おかしいな。どうなっているのだろう。ひょっとするとチェックポイントは何かの都合でなくなったのかもしれない。これまでもそういうところがあったのだ。ということは、次にあるのは最後のエイド、ラ・フレジェール(La FLEGRE , 93km)ということになる。そんなことをボーッと考えながら歩いていた。もう走ることはできなくい。アタマがボーっとしていて補給をするなんてことも思いつかない。ただ歩くことしかできなくなっていた。完全にやられていたんだと思う。

しばらく進むと、バーコードチェッカーをもったおじさんがいた。ここがラ・フレジェールか。関門時間は10:30。時計をみると9時半前。フラフラしていたわりにずいぶん余裕ができた。これでゴールを完全に捉えたと確信した。

12キロおじさんの怪

この日も青空で日を遮るものが何もない。冷たい飲み物が飲みたい。ところがあたりにはエイドらしきものがない。「ウォーターはないのか?」と聞くとおじさんが「12キロメーター」というではないか?「ト、トゥエルブキロメーター?マジか?そりゃクレイジーだな」(おそらく原文ママ)とほとんど日本語で返して8km先のシャモニーまでトボトボ歩く。

時間を見ると10時。あの12キロのおっさんのところもあと30分で閉められてしまうんだなと他人事のように思っていたときだった。猛スピードで僕を追い越すランナーがいた。なんだあれは。そしてすぐさま今度は2人が駆け抜けていく。

この道は遠くまでよく見える道だが、これまでは足元ばかりをみてフラフラ歩いていた。ふと先を見てみると、遠くに何かが見える。あれは……テントではないか

いや、おかしいぞ。あの12キロおじさんが最後のエイド・フレジェールだろう。だとしたらあのテントみたいなところはなんだ???

もう一度時間をみる。午前10時過ぎ。さっき走っていったランナー。遠くにうっすらと見えるテントらしきもの…………ボーっとしていたアタマが少しずつ働き出してやっとわかった。あの遠くに見えるテントがフレジェールのエイドで、関門時間まで残り30分を切っていたのだ。要するにあの12キロおじさんはベンツ峠のチェックをしていただけだったのだ。おそらく12kmというのは、シャモニーまでの距離だ。

上の図のventsをFlegreと勘違いしていたわけだ。

フラフラ歩いていたことで、突然ピンチに陥ってしまった。このまま歩いていたら、10時半の関門には間に合わない。93km、ラスト10kmを切った地点でリタイアになってしまう。アタマが真っ白になった。ここからフレジェールのエイドまでの記憶はブツ切れになっていて、エイド手前の上り坂でスタッフの人に、もう大丈夫だと背中を押してもらったところまで覚えていない。頭に巻いていたBuffがなくなっていたことに気がついたのはエイドについてからだ。

最終エイド、ラ・フレジェールには関門時間10分前に到着残り8km12時までにシャモニーにつけば大丈夫だと説明を受ける。この関門をクリアーしても、最終ゴール時間に間に合わなければ完走にはならない。時間がない。急いでオレンジを食べ、コーラを飲む。ボトルの水を入れ替える。自分の体をよくみると、ウエストにライトをつけたままだった。それを外していると、隣の外国人に笑われた。こっちの人は腰にライトをつけないのだろうか。

ラ・フレジェールを出たのはちょうど10時半だった。エイドを振り返るが、私の後にテントから出てくる人がいない。
「……最後尾か」
長かったCCC、最後のセクションがいよいよはじまった。

シャモニーへ

90分で8km。コースはほとんど下り坂。元気であればなんともない距離だが今は違う。少しの傾斜でも、前腿がビリビリと痛み走ることもままらない。
「走ったら気持ちがいいだろうな」と思いながら、ゆっくり進むことしかできない自分のもどかしさよ。

「フィニッシュタイムはトゥエルブオクロックなんだよな?」と前にいた外国人男女ペアに話しかけた。さっきの区間で大きな誤解をしていたために、確認しておきたかったのだ。女性は英語がわからないらしく(私の言葉が日本語混ざりのハチャメチャなのが悪い)男性がこうこたえた「12時15分だ」……え?耳を疑った。「トゥエルブ・フィフティーンなの?」「サービスタイム

サービスタイム?そんなの聞いていないぞ。人によってサービスがあったりなかったりするものなのか?12時15分なら多少余裕が出るかもしれない、と思いながら2人を追い越す。

11時になった。だいぶ標高を下げたはずだが、街はまだまだ小さい。残り1時間、焦らないわけがない。でも走ることもほとんどできない。レース前日に訪れたフローリアに到着すれば、ゴールまでのイメージがつかめるのだが……。

フローリア、フローリアはまだか……とつぶやいていると「サービスタイム」の男女ペアが猛烈な勢いで追い越していった。明らかに焦っているようだった。さっきはなかったアルゼンチンの小さい国旗をザックにつけていた。あの野郎……サービスタイムなどないのだ、12時までにゴールしなければならないのだ。覚悟をきめて僅かだがペースアップする。

フローリアに到着したとき、時計を見たかどうかわからない。このまま走ればゴールできそうだというかすかな安心感があったことは覚えている。あと3km程度だ。このトレイルを抜けてロードに出れば、そこはシャモニーだ。

シャモニーの街に出たとき、すでに残り時間20分強だった。「これなら大丈夫」と思っていたが、ゴールとは反対方向に進むことになっており、動揺する。受付の体育館のある川沿いの道を歩く。街の人たちが「ブラボー!」と声をかけてくれる。いや、ちょっと待ってくれ。歩いているけど、俺はまだギリギリでゴールできるかわからないんだ。子供たちがハイタッチをしようと手を伸ばす。彼らに近づきたいけど、その時間的余裕もない。腕を彼らのほうに精一杯伸ばし、かろうじてタッチする。

12時に間に合うことを確信したのは「スーパーU」というスーパーマーケットのある通りに戻ってきたときだ。11時45分を過ぎていた。もう、大丈夫だ。

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よく見ると右上に日の丸がかけてある!

遅いゴールということもあって、たくさんの人から「ブラボー」と声をかけられる。これまでの人生でこんなに「ブラボー」と言われたことがあっただろうか。私はメルシーを連呼することしかできない、メルシーおじさんだ。

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人がたくさんなのだ

フィニッシュゲートが見えてきた。あそこに達すれば長かった101kmの旅が終わる。本当はハイタッチとかしながらゴールしたかったのに、気が付いたら走っていた。ここを走る体力は残していたんだなぁ。

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ゴール、やっと終わった。長かった。時間は11時50分を過ぎていた。ここまでギリギリのゴールはレースで初めてだった。確か制限時間は26時間半と聞いていたが、記録は26時間40分台。とりあえずフィニッシュ扱いになったから、いいんだよな???

ゴールをして、上の写真にいるMCの人とハイタッチ。MCの人は名前を読み上げてくれる。僕はいつものクセでゴールに一礼し、ゲートを去ろうとした。もうフラフラなのだ。

そのときだ。

「ちょっとお前待て待て」みたいなことをMCがいう。何か忘れ物でもしたのか。
「ジャパニーズ・アリガトウ・スタイルをもう1回やろう」みたいなことをいうではないか?「アリガトウ・スタイル?」お辞儀のことか。
いつものクセでしかないんだけど、こういうのは外国人にウケるのだろうか、今度はMCと2人でお辞儀。応援の人たちも拍手してくれたので、これでよかったのだと思う。これが異文化交流ってやつか。

ゴール後、倒れる

MCの人から離れてゴールの裏手に回ると、同じツアー参加者でとうの前にCCCをゴールした方たちが待っていてくれた。帰って来たぞ、という気がして本当にありがたかった。お礼をいって、UTMBのトップ選手がゴールするまでホテルに戻って寝ると伝えて歩きだした直後、建物の日陰で倒れた。

自分でも何が起きたのかわからないが、全身の力が抜けて立っていられなくなった。日陰が気持ちよさそうで、倒れ込んでしまった。それを見て慌てたツアー参加者の夫妻が水を持ってきてくださったり、濡れたタオルをくださったりして助けてくれた。まさかゴール後にこんなことになるとは。30分くらい起き上がることができなかった。たぶんこれ、熱中症だ。

ホテルに戻り、シャワーを浴びてUTMBのトップ選手ゴールまでの少しの間ベッドで眠ることにした。目をさますとすでに日は沈んでおり(トップ選手ゴール後)、私は裸で部屋の床に転がっていた。

完走者のもらえるフィニッシャーズベストを着て街に出た。UTMBを走り終えた早い人たちがゴールしている。街はにぎやかだ。
レストランのテラス席に座って、飲みたかったビールと、レース中は食べるのを控えていたチーズ料理を中心とした3品のコースをオーダーした。

オニオングラタンスープは完食できたものの、レース中から欲していたビール、そのとのチキンのグラタン?(またグラタン?)は半分くらいしか口に入れることができなかった。胃腸がボロボロみたいだ。

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デザートのパンナコッタも半分だけでした

ホテルまでの道、両手をジーパンのポケットに入れて、全身を左右に振るようにゆっさゆっさと歩いていると、肩をたたかれた。白人のグループで「おまえこいつと同じ歩き方してんな」みたいなことをいって、グループの一人を指さして笑った。その人もCCCのベストを着て、両手をポケットに突っ込んでいた。おお、同士よ!と握手をした。

夢のように楽しく、美しく、ハードな2日間だった。
本当にゴールできたのか不安だったが、このベストもあるし、間違いないのだろう。さっき眠ったばかりなのに部屋に戻るとあっという間に眠りについてしまった。
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つづく

CCC / UTMB 2015 その5

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は5回目。
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Profil-CCC-2015

 

峠を越えてイタリアからスイスへ

Arnuva(27km)のエイドを抜けると、いよいよ難所グラン・コル・フェレ(Grand Col Ferret、2537m)への挑戦がはじまる。川を渡ったところからフェレ峠への長い長い登りがはじまる。4.5kmで770mほどの登り。書いてしまうと「そんなものか」といった感じなのだが、登ってみるとなかなか終わりが見えない。木々がないため先を行く人々の列が遠くまで見えて遥かかなたで途切れている。あまり先を見ると気が滅入るので目の前だけを見て淡々と進む。

途中で休憩している人たちも多いが、エイドで休んだのがよかったのかゆったりとしたペースであれば歩き続けることができた。周りの人たちも自分と同じペースを刻み続けており、抜かされることもない。周りを見て休憩をとるか悩んだが、このまま峠までいってそこで一息つくこととした。

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写真奥に見える川がArnuvaのエイドのあとに渡った川。かなり登るぞ。

Grand Col Ferretには2時間弱で到着。単に遅いだけかもしれないが、長かった。
ここが確かイタリアとスイスの国境だったはずだ。国境がどこだかわかれば昔のテレビ番組「あいのり」のように、せーのでジャンプして「スイス~!」とか叫ぶのを一人でやろうと思っていたが、バーコードの「ピッ」というチェックだけで終わってしまいどこが国境なのかわからなかった。

呼吸の乱れ、手足のしびれ、危機に直面

ここまで登り続けたのでさすがに疲れてしまった。周りには腰掛けている人、横になっている人なども多い。景色もすばらしく休憩するには贅沢すぎる場所だ。「それでは私も一休みしますかな」と横になった。

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この直後、体調に異変が出てきた。

横になってすぐ呼吸が乱れてきた。ゼーハー、ゼーハー。なぜ休んだのに具合が悪くなるのか、予期せぬ事態に戸惑っていると今度は手足がしびれてきた
なんだこれは!!! 富士山に登ってもこんなことなどなかった。高山病ではないだろう。ではいったい何なのか……。
寝そべるというよりは、うずくまるような体制でいると「Are you OK?」とスタッフが体を揺すりながら声をかけてきた。「オーケー、大丈夫」と答えたものの、なかなか起き上がれない。
ここで「ダメだ」とスタッフに告げたらレースは終わってしまう。ここにとどまっていたら立ち上がれなくなる気がした。低い場所まで行けばなんとかなる……に違いない、いやそうあってほしい。
なんとか立ち上がり、一歩ずつゆっくり下っていくことに。

ここから次のエイド、ラ・フーリ(La Fouly、42km)までは10kmに及ぶ長い下り坂の区間。自分のイメージでは足を使い切らないように気をつけながらも軽やかに下っていくイメージだったのだが、現実はまっすぐ歩くこともままらず、左右にフラフラしながら朦朧と進むのが精いっぱい。「この区間は抜けるだろうな」なんて思い描いていたのが恥ずかしい。抜かれる一方である。そして、スタッフだけでなくランナーにも「大丈夫か?」と心配されてしまう。情けない。
でもせめてシャンペ湖まではがんばりたいのだ。まだあきらめたくはない。

3kmほど進んだところからようやく走れるようになってきた。体がずいぶん楽になってきたのがわかる。原因はこのときまだわからなかったが、走ったり歩いたりしながら体調の峠は越えたと確信できた。
長い下り坂を下りきると再び川沿いの道に戻る。川を抜けるとやっと街に到着した。
そこからラ・フーリまでのロードはゆっくり歩くことにした。苦しい状況に打ちのめされたあと人々の温かい応援や人工的な街並みを見て心からホッとした。

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地元の子供達はゼッケンに書かれた名前を読み上げて応援してくれる、弱った身になるとこういうのに弱くなる

ラ・フーリには関門時間のちょうど1時間前に到着。フェレ峠でくたばっていたことを考えればよく挽回できたと思う。僕にとっては濃厚すぎる42kmだった。

CCCは街並みだけでなくトレイルでもハイカーの方たちの応援がすごい。「アレアレー!」とたくさん応援してくれる。参加者のゼッケンにはそれぞれ国旗がプリントされているので、選手間でも応援する人でも人目でどの国の人かわかる。ヨーロッパの人たちへの応援は「アレ!アレー!」であっても、僕が通ると「オオ!ジャポネ!アレーアレー!」と手を振ってくれることが多く、異国の地で一人の身には本当に励みになった。

これまでジェルばかりの補給だったが、ラ・フーリでは暖かいスープとオレンジをいただくことにした。オレンジはおいしくて10切れは食べたと思う。スープは普段飲むとしょっぱいくらいの塩気だったが、これが今はちょうどよく感じられた。外はまだ明るいものの19時を過ぎている。次のエイドに着く前に真っ暗になる。このエイドでヘッドライトを付け、念のためウィンドシェルを羽織って19時35分に外に出た。

シャンペの罠

次のエイドがシャンペ湖(Chanpex-Lac,56km)。コース最大のエイドだ。ラ・フーリの街を出たあともしばらくは下り基調の道がつづく。

道の途中で会った日本の方に、フェレ峠でダウンした話をしたら「しびれなどは熱中症ではないか」というアドバイスをいただいた。湿度が低いので日本のようにドバーっと汗を流すことがないので脱水を意識していなかった。自分が思っている以上に水分を出していて補給がたりていないのだろう。塩熱サプリを用意しておくべきだった。こんなに暑いとは思ってもいなかったのだ。

この区間は一番走りやすく楽しかった。トレイルを抜けると小さな街に入り、家の前には私設エイドがある。そこでお水やジュースをいただき駆け抜けていく。フェレのときの違和感は完全になくなっていた。

途中で見覚えのある場所があった。立ち止まって写真を撮る。

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走ってるときは気にならなかったけど、こうして写真でみるとなかなかスリリングな崖だ。

ここだ。間違いない。DVD「激走モンブラン!」で鏑木毅さんが前を走るスコット・ジュレクを見つけた場所だ。そこを少し進むと追い抜いたと思われる場所にもさしかかる。あのDVDがUTMBのきっかけだっただけに感慨もひとしおだった。

「シャンペ湖までの登りがけっこうきつい」というのは聞いていた。高低図を見ると400m程度で他の登りと比べるとたいしたことないように感じられるのだが、それはワナだという。登ってみるとその意味がわかる。きつい登りではないが、森のなかなので終わりが見えない。これまで先が見えすぎる登りで滅入ってしまったが、先が見えないのもストレスになる。なんて身勝手なのだろう、私は。ヘッドライトの明かりに頼りながら、当初最低限の目標としていた56km、Chanpex-Lacには関門時間50分前に到着した。

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ここは(私には関係ないが)家族らのサポートを受けることもできる、CCCではコース最大のエイド。テントも大きく、フードの種類も豊富だ。ペンネのようなものもあったが、私は引き続きスープとオレンジのみをいただく。その他の補給は手持ちのジェルだ。

ここで終えてもいい……

当初最低限の目標としていたシャンペ湖はクリアできた。だが……ここからのコース後半にそびえる3つのピークを果たして乗り越えられるだろうか。時間の貯金もない。達成感は十分ある。次の関門をクリアできるかどうかはわからない。
ただ体力はある。それなら関門にストップといわれるまでは前へ行こう。いけるところまで行こうじゃないか。

そう決めてから再びオレンジを5切れ口に放り込み、夜に備えて長袖に着替えてエイドを出た。エイドが混雑していて席を探すのに時間がかかったり、着替えたりしていたので、時間がないと焦っているくせに25分も休んでしまった。これで貯金はほとんど無くなっていた。

つづく

CCC / UTMB 2015 その4

ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc® / UTMB)の後半101kmを走るCCCというレースに参加してきました。これから数回にわたって、レースのことや現地シャモニーでのことなどを振り返りたいと思う。今回は4回目。
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バスでクールマユールへ。15年のバスはネット予約に

レース当日の朝は早い。9時のスタート前に、まずはシャモニーからイタリアのクールマイユールへ事前にネットで予約したバスで移動する。バスの予約は今年からネットで事前予約になった。クールマイユールまでは30分程度だろうか。トンネルを抜けて一気にイタリアである。

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バス。事前予約制だが、ラフなのはバスの時計が適当な時間をさしていることからも明らか。

スタートまで90分くらいあったので、到着後しばらくはアイスホッケー場のある施設で時間をつぶす。ここでお手洗いにいったり、朝食を食べたりしてまったりすごした。

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暖かいのでここでごろ〜んと横になっていた。

初の海外レース、外国人ばかりでビビったりするのかなと思っていたが、シャモニーに到着してから数日が経過しており環境に慣れてしまったようだ。これならフラットな気分でスタートに臨めそうだ。
この体育館のような待機場からスタートまでは離れていて、坂を登ってようやくスタート地点に到着する。ゼッケン番号ごとにブロックが指定されているので要注意だ。ドロップバッグを預ける人は荷物置き場が奥にある。余裕をもって移動したほうがいい。
ブロックに入ればあとは自分のスタートを待つだけだ。

CCC (Courmayeur – Champex – Chamonix)

ここでレースプロファイルを少しだけ。
CCCはUTMBの後半、クールマイユールからスイスのシャンペ湖を経由し、フランスのシャモニーへゴールする101kmのレース。累積標高は6100m。日本でいえば富士山を1周する「ウルトラトレイル・マウントフジ」(UTMF)の「静岡から山梨」(STY)的な位置づけと思ってもらえばわかりやすいだろう。
日本のレースと違うのはひたすら登って、ひたすら下るの連続であること。こまかなアップダウンはほとんどない。なかなか日本では味わえないコース、標高だと思う。
Profil-CCC-2015
UTMBコースとの違いは一つだけ。CCCはスタート直後にトロンシュの頭(Tete de la Tronche,2571m)というピークを越えてベルトーネ小屋に向かうが、UTMBはクールマイユールからベルトーネ小屋直行である点。

コースは、トロンシュ(2571m)とグラン・コル・フェレ(2537m)という標高の高い2つのピークを登り下りする前半部分と、56km地点のシェンペ湖を挟んで3つのアップダウンを繰り返してシャモニーに到着する後半部分に分けられると思う。

関門は8つ。トレイルレースでは基本的に関門時間と向き合いながら完走するのが私のスタイル。これまでのレースで最も難度の高いこのレースでもそれは変わらない。

Tableau-passages-2015-CCC

サポートを受けられる箇所は3つ。上のタイムチャートの緑色の箇所だ。私は単独で走るのでサポートはないが、CCC期間中も大会のシャトルバスはシャモニーから移動しているので日本からの参加者であってもバスで巡ってサポート可能。大会中はlivetrailというサイトでランナーのチェックポイントの通過時間、次のチェックポイントの予想到着時間が表示されるので、それを一つの目安にして移動すればいい。

あわよくば完走……というスタンスで

このレースに臨むにあたっての優先順位は以下のとおり

1:安全第一 = 帰国後職場に迷惑をかけるわけにもいかない。セーフティーに。
2:感謝の気持ちで = 海外レースまでこれたことに感謝
3:楽しむ = 頑張る!も大切だけど楽しむ気持ちをわすれずに
4:シャンペまでは行きたい = 56km地点のChanpex-Lacまでは関門をクリアしたい
5:あわよくば完走 = シャンペまで行けたら、完走を目指す

自分の実力を冷静に見つめると、こんな具合だろう。

DCIM100GOPROスタートはウェーブスタート。目標タイムの早い順に3つのグループが10分おきにスタートする。エントリーの際、調子に乗って高すぎる目標を掲げていた私はあろうことか、2番手から。大音量の音楽、何をいってるのかさっぱりわからないフランス語のアナウンス、歓声、日本のトレイルレースでは感じたことないにぎわいのなか、クールマイユールの街を駆け抜けていく。

天候は……この日も最高だ。

最初の1400メートルの登りですでにフラフラに……

Profil-CCC-2015

最初は10km地点のトロンシュまで1400メートルの登りとなる。ここはウェーブスタートになっても渋滞気味になりつつ、ゆったりと頂上を目指す。

DCIM100GOPRO

高低図では登り一辺倒に見えるが、ところどころにこうした下る箇所もある。最初のうちはのどかなトレイルなのだが、進むにつれ斜度が増していく。

DCIM100GOPRO

上の写真は牧場のフェンスがあるのでトレイルにヤギがなだれ込むことはないが、ロバがトレイルのど真ん中で立ち止まっていたりした。

DCIM100GOPRO

 

斜度がキツイ。スタートから握っているストックがもし折れたとしたらと思うとぞっとするほどしんどい。木々がないので上をみると果てしなく感じられる人の隊列が見える。「まだ登るのか……」グラン・コル・フェレが難所と聞いていたが、最初のこれもなかなかパンチの効いた登りで「聞いてねぇぞ」とかつぶやきながらひたすら登る。

DCIM100GOPRO

絶景の稜線を進む

この最初の長い登りをひぃひぃ言いながら登り切ると、目の前には絶景が広がっている。この稜線を駆け抜けて最初のエイド、ベルトーネ小屋へ向かう。ヨーロッパアルプスの壮大な風景に奪われながら、夢心地で走っていると脇見がいけなかったのかなんでもないフラットな場所で転んでしまった。え?なんで俺転んでるんだろう?と自分の状況が理解できないでいたままブラジルの国旗をつけたおじさんに担がれる。「オーケー、サンキュー」といって再び走る。ああブラジル人だから英語は不適切だったのかなと思ったのはもう少し走ってからだ。

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ベルトーネ小屋のエイド。水かと思ったら出てきた白い水(スポーツドリンク)があまりにまずくて一口で全部吐き出した。

15kmのベルトーネ小屋から次のエイド、ボナッティ小屋までの7kmは左手にモンブランやグランジョラスを眺めながら、フラット気味(といってもアップダウンあり)のトレイルを走れる楽しい区間のはずだ。私は最初の登りの疲労、そして転倒でけっこう滅入ってしまい、走れる区間であっても早くも歩いたり走ったりの繰り返し。まだ1/5しか走っていないのに疲労困憊。まだ時間に余裕はあるはず、セーフティーに。セーフティーに。

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22kmのボナッティ小屋。なぜ登りきった場所にあるのだ……(疲労)

この区間は水場が豊富で通りかかるたびに頭に水をかけたりして体を冷やした。上の写真からもわかるように天気が良すぎて、とにかく暑いのだ。日本の夏は8月末には収束してしまったが、こちらはザ・真夏日。僕が見たCCCのDVDでは吹雪いていたというのに、35度とかどういうこと!? そして湿度が低いので日本のように汗をかかない。この湿度の違いがのちに自分の認識を大きく狂わせることになるのだが、それはもう少し先の話である。

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アルヌーバのエイド、ここは広くて座って休める場所もあった。ただテント内は蒸し暑くてたまらん。

16:30という関門時間が設定されていた27km地点、Arnuvaのエイドには余裕をもって到着することができた。走れればもう少し楽だったと思うが、早くも余裕がない、コテンパテン状態だ。

ここから先はグラン・コル・フェレへの長い登りがまっている。水分補給、ジェルやベスパも補給して万全の体制で臨む。関門時間1時間前にエイドを出発した。

つづく